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餅まき

こんにちは。腐おばはんです。
今日は、地域の餅まきについて書くよ。(BLでも創作話でもない)

さて、タイトルの餅まきである。
餅まきとはなんぞやという御方もおられましょう。
餅まき(もちまき)は、上棟式などの神事に際して集まった人々へ餅をまく行事である。※ウィキペディアより
餅まき、餅ほり、餅なげ……呼び方は人それぞれ、地域性もあるが、ここでは餅まきで統一しよう。

腐おばはんの住んでいる地域は全国的に見てもやたらと餅まきが多い県である。(残念なことにコロナで激減した)
そして餅まきと言っても、まくのは餅だけじゃない。お菓子やカップラーメン、パンに食器用スポンジ、鯛……まけるものがあれば まく!! それが県スタイルの餅まきである。

そして、時折金、酒、米もまいてくれる。個包装された餅と一緒に交換券が入っているのだ。
豪華な景品がまかれるのは、神社ではなく上棟式に多いように思う。
土地神様への祝詞もあるけれど、腐おばはんが教わり解釈したのは……

家を建てる、家族を持つ、それらはとてもよいこと。
特に昔は家を建てる=富裕層だった。
大きな幸福には大きな厄もついてくると考えられておった。
福を分けるから、皆に親切にするから、どうぞ厄はあっちへいっておくれ。

妬む人々のこころもあろう。
厄を逃がす、おまじない的な意味合いも大きく、上棟式で餅まきをすることはとても良いこととされているのだ(これ腐おばはんが教わったもので、諸説ある)

さて、今回腐おばはんが参加した餅まきは、田舎の山奥にある神社で行われた。
地域の手伝いで親が参加するため、一般客として参加したけど、山のふもとから車で20分以上はかかる。
さらに駐車場から境内まで10分くらい歩くのだ。
こうなると、田舎でこんな山奥の神社を誰が管理するのだろうかと若干不安になる。

けれども、境内は古いがそれなりにキレイで、山肌や岩壁に刻まれた仏像はとても格好いい。
こんなに素敵な神様も不貞腐れているような表情に感じるのは見間違いだろうか。(ちなみに腐おばはんは銅像やらの石仏をまじまじと眺めるのがすきなのである)

そして祭儀が行われ、昔ながらの衣装を身に着けた神職の方々が燃え盛る炎を囲んだ。大きな炎と貝の笛でこれまた立派なものだ。

──がしかし。
超々高齢化を感じる……
参列者も子供の数は20人もいないし、大人は60オーバーばかり…。
次の代へ継いでいきたいという想いはひしひしと伝わってくるが、間の丁度いい年齢がいないのだ。

とまぁ、世知辛い過疎化事情は置いておこう。
いざ、餅まきだ。準備資金は聞いておる。かなりの餅が降ってくるだろう。今回の餅まきでは、鯛が降ってくる。それから米、酒と交換が可能だ。

実は……
腐おばはんは勝利を確信しておったのだ。
なぜなら、餅をまく側に父がいるだからだ。

いざ、来い!! なんか、高いもん!!
──が、しかし、父は鯛も交換券が入った餅もほってはくれなんだ(方言)
ただただ、おびただしい量の固い餅を全身に浴び、

『いてぇ、いてぇんだよぉ……、餅がかったいよぉ』

固くなった餅にたいして腹も立ってくる。
父に向かって
『もうやめろ!!! こっちに投げて来るな!!!! こっちを向くな!』
と、心で念じた。だが、おびただしい餅が降ってくる。
そして卑怯なことに腐おばはんは、前方にいるおばさんを盾にしようとしゃがんだのだ。おばさんもしゃがみ、腐おばはんもさらにしゃがんだな。みんなが頭を抱えてしゃがんでおる。
それなのに、

いーーーーーーーっぱい降ってくる!!!!!!

それが……田舎の餅まきなのである……。
(腐おばはんは顔にぶつかったので、あとで父に苦情を言ったぞ。もうあんなに餅をなげるのはやめろ。あんパン、食パン、カレーパンでいいのだ。カップラーメンでもいいよ。ポテトチップスはいっぱいなげてくれと)
なので、今後当方の田舎の神事にご参加の方は喜んで参加していただきたい。鯛が宙に飛ぶシーンが何度も見れよう。子供は危ないので逃げてね。

ここからは、──まぁ、BL素材にでもしていただければいいのだが……(長いな?飽きたか?大丈夫か?)
餅まき終了後、腐おばはんは実家に帰って両親に山頂神社の話を聞いた。
今回参拝させて頂いた不動大名の神社には、15年前くらいには白蛇がいたのだそう。
白蛇は祭事の時だけの見世物かどうかは定かではないが、お参りの日にはいつも白蛇がおった。
白蛇は縁起がいいとされていて、参拝客も一つの楽しみにしていた。

あの神社は古いがとても整備されている。
けれど、10年すれば、もう誰も整備する者がいなくなるのだ(私は遠方)
こういう神社が日本にはごろごろとあって、どの神社も行けば、とても魅力的なものだ。
もぬけの殻となった神社の神様はかみさまではいられなくなると、どこぞのそれこそ小説の話で読んだことがある。
でもそういうものなのかなとも。

『こうして餅まきで人の記憶にあれば、いつかまた思い出すかもしれない』

そう父が言っておったので、腐おばはんは頷いたのだ。




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