[記者のひとりごと]19年前のあの日

 昨日、福知山線脱線事故から19年を迎えました。お亡くなりになられた方々にご冥福をお祈り申し上げるとともに、事故により負傷された方々の一刻も早いご回復をお祈り申し上げます。

                         史旅編集・交通報道


 昨日の午前9時18分、事故現場をゆっくりと走る電車の姿はTVやネットニュースなどで印象に残っているだろう。事故現場付近と車内では手を合わせる人も多くいた。遺族のほかに、事故で負傷した人も現場に訪れていた。昨日記者も発生時刻に黙祷した。19年前の昨日、大阪の福知山線 塚口駅から尼崎駅の間で制限70キロのカーブに約116キロで進入。速度超過によりカーブを曲がり切れず車両が脱線し、マンションに衝突した。死者107名・負傷者562名を出した大事故。車両はかなりの損傷を受け、1両目は原形をとどめない程だった。
 現在、その場所は衝突したマンションの一部を残して当時の事故を忘れないための慰霊の森に生まれ変わった。記者も一度訪れ、大阪の静かな住宅街の一角にある印象だ。被害を受けたマンションも残され、雨よけの屋根も掛けられ、ダメージを受けないように大切に保管されている。当時のあの日を二度と起こさないJR西日本の想いが感じられる。敷地内には資料館も設置され、当時の新聞記事なども読めるようになっている。
 日本各地で未だに鉄道関連のトラブルは、事故に至らずとも1歩手前の事象は起こっている。記者としての一番の願いは「安全」。これ以上に願うものはない。時代は変わっても、過去の出来事を忘れずに安全を大切に運行してほしい。(記事文作成:運営記者)


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