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滞らせない

自分でも理由は分からないけれど、何故かどっしりと構えていられる時は、無意識のうちに『良い結果』が出ることを知っているからなのではないかなと思います。

それを魂が知っている……みたいな。

そういう時って、ヤケクソとか諦めじゃなくて、「ダメならダメでいいんだよね」っていう心境で、本当にもう、「どうでもいい」というくらいの気分でいたりします。

上手くいった時のことを楽しくイメージすることも出来るけれど、それにはあまり執着を感じなくなっていて、「じゃあ(ダメなら)次は何をしようかな」と考えて楽しんでいたり。おおらかな気分で、心穏やかです。

これが、『手放す』ということかなあと思います。

精神世界でよく言われることに、「手放すと叶う」「忘れると叶う」というのがありますが、実際に願うことがある時は、なかなかそうはいきません。願う=執着ですから。

「願っているうちは叶わない」というわけです。

それは人間としての当たり前のことだと思います。

大小あれど願いのひとつくらいは、誰の胸にもあると思うのです。

願うだけで叶えることは、難しい。

願いを叶えるために出来る確実なことは、動くこと。願っているだけのうちは、なかなか執着が手放せませんが、動いているうちに「気になること」「心配なこと」「こだわり」が減っていきます。「ただ待っているだけ」の時は、執着が強くなっていきます。

願いを叶える人というのは、ただひたすら願うだけで部屋でゴロゴロしているのではなく、叶えるために「動く」ことをしています。

そして、叶えたいことに必要な動きもしますが、それ以外の【やるべきこと】をきちんとしています。自分の周りに滞りを作らない。

滞っていることを「流れが悪い」といいますが、「滞納」という言葉に置き変えたらどうでしょう? おさめなければいけないことが、滞っている状態。

「おさめる」のは、納だったり、収だったり、修だったり、治だったり。

おさめるべき事や物を滞らせておくのは、周囲に迷惑をかけることにもなりますし、同時に自分にも良くありません。滞納はそのままにしておくと、滞「膿」になります。膿となれば、痛みを伴うこともあり、排出するにはそれなりの手間がかかり、傷を作れば治癒するまで時間もかかります。

ですから、滞りは作らない方がいいのです。滞りが出来てしまったら、出来るだけ早く流す。

滞りが解消されれば、事はスムースに運んで行くでしょう。

それが運に乗る時で、チャンスに向かう流れに乗ることです。

「すべきこと」はきちんと片付けてあり、余計な心配はせずにいられる。

滞りがなければ、その時の自分にとって一番良い結果になると無意識が知っているのだと思います。

その『一番良い結果』が自分が願っているものと違っていても、それで良いことを知っているときのどっしり感です。


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