塩田千春2

塩田千春の赤い糸に迫る

森美術館で、塩田千春の作品に触れたとき(2019年10月27日まで)、私の中の毛細血管すべてが他者の毛細血管に繋がっていく世界のイメージを残した。そして衝撃と同時に内面に深く入ってくる何かを感じた。その正体は、次のような言葉の集合体から連想拡張されるものだった。(展覧会カタログのアンドレア・ヤーンとの対話から塩田千春の言葉を拾った。)

「じっくりと落ち着ける私一人だけの居場所」「現実に対する自分の感覚への疑い」「触れることはできないが、確かにそこにあるもの」「拡張される生」「内側にいるのか、外側にいるのか区別がつかないこと」「痕跡からそこに居た人の存在を感じる」「不在の中の存在」「何か洗い落とせることができないもの」「宇宙とは人間同士の繋がりが網の目のように広がったもの」「私の体内に流れる血液の「壁」」「壁の一方にはアイデンティティや国籍があり、もう一方の側には自由があります。」「人と人とのつながりを表したいからです」

〇私は日本の美術大学で学んでいましたが、大学2年になって絵が描けなくなりました。その後オーストラリアに行く機会を得ましたが、あるとき自分が3次元の絵の中にいる夢を見ました。数日後私は、赤のエナメル絵の具を使って「絵になること」を制作しました。全身を投じた身体表現による最初の作品です。本当に、解放の行為でした。

〇ドイツに来た頃、3年間で9回も引越しをしたため、自分の寝る場所が度々かわりました。じっくりと落ち着ける私一人のための居場所がほしいと、本当に思いました。私は自分に寝室に糸を編み込み始めました。

〇私はよく道教の哲学にある「胡蝶の夢」のことを思います。・・夢からさめたとき、彼は自分が人間であるという夢を見る蝶々なのか、それともその逆なのか分からず混乱しました。・・現実に対する自分の感覚に疑いを抱いたからです。これこそは、触れることはできないけれど確かにそこにあるという意味で、私が「拡張された生」という時に表現しようとしていることです。

〇窓は内と外を隔てているけれども、その逆でもあるかもしれないという気がします。時にはこれらのスペースが混じり合って、私が内側にいるのか、外側にいるのか区別がつかないことがあります。これは・・いつもどこか「はざま」にいるという感じを抱いていたからかもしれません。

〇私は人がベッドから出た時に残るシーツの形が好きです。・・私にはこの痕跡からそこにいた人の存在が感じられます。眠りは死に似ています。・・軍用ベッドでは、恋人の夢を見る一人の兵隊が想像できました。眠りと夢とは人間の日常生活とつながっていて、リアリティをもつための重要な基盤となるものだと思います。

〇私の作品のすべてに通じるテーマは「不在の中の存在」です。いつもそこに人の痕跡があり、それで記憶を表現しています。私は・・古いものに染み込んだ生活の痕跡が好きだからです。・・私にとってピアノは強烈なオブジェです。それが燃えるとき、音楽を失いますが、それは静けさの中に残り、いっそう強くなって美しさを増します。

〇私にとって衣服は、まさに第二の皮膚のようなものです。・・パフォーマンスの後、私は汚れを落とすため自分の体を洗いました。洗い落とそうとしたのに汚れがとれず、洗った後でも汚れが残っているような気持ちでした。・・洗っても皮膚の記憶は洗い落とすことはできません。何か洗い落とすことができないもの。私が表現しようとしている感覚です。

〇糸を編み込むことで、黒い線の集積は面になり限りない空間をつくりやがて宇宙に広がっていくような限りない空間を生み出すことができるのです。・・黒い糸を編み込んで張り巡らせるとき、網目がだんだんと密になり黒さを増していきます。もう見えなくなるというところまで編み続けます。・・・宇宙とは人間同士の繋がりが網の目のように広がったものです。

〇映像作品「ウォール」では・・結果的には、私の体内に流れる血液の「壁」に集中していきました。人間の条件に結び付いていて私たちが中々振り切ることや乗り越えることが難しい家族、人種、国籍、宗教やその他の世界。・・・壁の一方にはアイデンティティや国籍があり、もう一方の側には自由があります

〇赤い糸も使います。それが血液の色を象徴するからです。それは太いロープの中を走る目に見えない線を表します。内側にあり、見えないけれども、実際はすべてをつなぎ、結びあわせているロープの中の細い糸です。赤や黒に糸を使うのは、人と人とのつながりを表したいからです



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