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道草食べる通信 #1 「太鼓を作りたい。」

熊の皮を革にする事業が本格的にスタートしそうなのだけど、
「これはやってもいいことなんだろうか?」とずっと悩んでいる。
動物で商売することは、ものすごく危うい。
大げさではなく、対象の動物を絶滅させる危険性だってあるからだ。

そして、やってもいいかどうか、これはやり方によるだろうし、
やり方がいいかどうかの判断は、その時代の雰囲気にもよるだろうし、
もっといえば個々の倫理観にもよる。答えは十人十色だし十時代十色。
となれば、自分なりに、こういう精神・こういう条件ならばやってもいいのでは、
という暫定解を出し続け、その暫定解を更新し続けるしかない、と思い、
よし勉強しよう。と思ったのだった。材料もなしに答えは導けない。

まず、テーマを決めた。
今の時代を生きる僕にとって、あるいはみんなにとって、というよりは、
「大昔の「ヒト」にとって、
動物の皮や革は、どんな意味をもっていたのだろうか?」
というテーマを追求しよう。

そして、文明が発達して、こんなにも便利なものがたくさんあるのに、
動物の革はなぜ、まだ残っているんだろう?
なんなら愛されまでしているのはなぜだろう?
これらの問いにしどろもどろでも答えることができれば、
この事業をやる上での及第点はいただけるのではないだろうか。

とはいえ、おそらく明確な答えはない、この問いに、
なんとかして手がかりをつけるため、僕は図書館へと向かった。

・・・

県立図書館で、「毛皮と皮革の文明史」という本に出会った。
この本は、毛皮や皮革を人類がどのような目的で使用してきたのかについて、
太古の昔から現代に至るまでを整理し、
今後の動物との関わり方について考察・提言するような本、なのだけど、
これが、とてもとても勉強になる本だった。

そして、この本の中でもとりわけ印象深かったのが、
狩猟採集で生きていたぼくたちの祖先が、
どのようにしてことばを形作っていったのか。
そのひとつの説として、「太鼓」がことばを発展させた、
という記述があったことだった。

その一文を読んでから「太鼓」が急激にホットワードになった。
太鼓と言えば、お祭りで頭にはちまきを巻いた男や女が、
バチを手にどどんどどん、と叩いているイメージしかなかったわけだけれど、
そんな太鼓が、ことばを形作る?そんなことがあるのかと疑問に思った。
でも、考えてみれば、太鼓の素材である、木も皮も、どちらも、
太古の昔から手に入った素材だ。
なんなら木は、精霊が宿るとされて、大事に育てられていたと言うし、
動物の皮も、儀式や呪術の際には異界と交信するために、必ず用いられていた。
マタギ文化でも、新人がマタギの仲間入りをする際には、
新人に熊の皮を纏わせて、山の神に
「新人が山に入りますが、どうかよろしくおねがいします」
という意味を込めた儀式を行っていたという。

精霊や死後の世界である異界。
そんな異界との交信に必要不可欠な「木」と「皮」が、
人間のことばをかたちづくる、というのは、
ヒトの根幹に関わっているような気がして、なんともロマンがある。
考えを進めていくうちに、僕の中の太鼓のイメージは、
お祭りのときに使われる「宮太鼓」から、
自分で木を切って、何かしらの道具で中身をくり抜き、
獲ってきた動物の皮を張って作る、
「原始的な太鼓」のイメージになっていった。

もっと言えば、原始的な太鼓は、皮も張らず、木を叩いただけかもしれない。
音が鳴る、というのは、なんだかたのしいことだっただろう。
そんな中で、腐った木を叩いたら偶然違う音が出た。
木によって音が違うことにおもしろさをおぼえたのも束の間、
「あ、忘れてた」と狩った動物の皮を丸太の上に
置きっぱなしにしていたところから偶然、
皮張りの太鼓の原型が生まれたのかもしれない。
それを叩いてみた太古の音マニアが、
「めっちゃいい音やん!」「雷の音に似てるやん!」と、
テンション上がって、これ作ろうよ。なんなら儀式にも使えるやん!
などと思ったのかもしれない。発明はエラーから生まれる。
さまざまな偶然が折り重なって、今の太鼓に洗練されていったのだろう。

と、そんな妄想を続けていると、当然、自分でも作りたくなってくる。
だって、皮も木もすぐそばにあるんだもん。作れるやん!状態なのだ。
でも、やっぱり、昔の人たちが大切な儀式や何かに使っていたこともあって、
なんだか適当に作るのも嫌だし、またまた大切な熊の皮を使うのだから、
できれば失敗したくない。(こうやってエラーしなくなるの、よくない。)
なんて考えていたのだけど、ある日ふと、
そういえば「大太鼓の館」があるじゃないか、と思った。

「大太鼓の館」というのは秋田県の北秋田市にある、
まさしく大太鼓が保管されている倉庫のような博物館のような場所。
この大太鼓は、北秋田市の鷹巣町綴子(つづれこ)で行われる、
綴子神社例祭(綴子神社に大太鼓を奉納する例祭)で使用される。

綴子大太鼓を氏神綴子神社に奉納する綴子神社例祭は、鎌倉時代の1262年(弘長2年)頃から始まったと伝えられている。綴子は水源と水路の便が悪く、常時灌漑用水の不足に悩み、その対策として雨乞いと日和上げの神事として始められたもので、大太鼓の大音響を雷鳴に似せ、天上の神に祈りを籠めて雨を降らすといった氏子農民たちの切なる祈願であった。

Wikipedeia| 綴子大太鼓(一部編集)

北秋田市民であるにも関わらず、
僕はこの「大太鼓の館」に一回も行ったことがなかった。
理由はシンプルに「興味がなかった」から。

話は逸れるけれど、
興味というのはいつどこで生まれるかわからないものだよな、と思う。
今となっては大太鼓について興味しかないわけだけど、
それまでまるで興味がなかったのは、なぜなんだろうか?

興味というのは言い換えるならば「問い」だ。
「なぜ、そんなに大きな太鼓を作ることになったのか。」
「そもそもどうやって太鼓を作っているのか。」
「みたときの迫力はどんなものなのか。」
「叩いたらどんな音がするのか。」
「どんな歴史がそこにあったのか。」
あげ出せばキリがない問いの連続が「興味」の正体だと思う。

でも、この問いが、これまで浮かばないわけではなかった。
大きな太鼓があることはもちろん知っていたし、
なんでこんな場所に世界一の大太鼓が?と思わないでもなかった。
だけれども、そのとき浮かんだ問いを知りたいとまでは思わなかった。
この違いはなんなのだろう?

おそらくそれは、テーマのあるなしなのだと思う。
テーマというのは「ほんとうに知りたいこと」だ。
僕は「動物の皮や革が、ヒトにとってどんな意味があるのか?」
ということについて、「ほんとうに知りたい」。
ふっと浮かぶ枝葉の疑問と違って、テーマは、自分の魂を燃やす問いである。
魂の問いから生まれた疑問は、解決せずにはいられない。

そこに「木」と「皮」と「原始」と「ことば」という
キーワードが組み合わさった「太鼓」という存在が、
急激にホットワードになるのは誰がどう考えても自然なことだと思う。
「太鼓」を掘ることで、テーマに近づく。
この確信が、自分の足を大太鼓の館へと運ばせたのだ。
枝葉の疑問ではなく、大きな太い「問い」をもつことで、人生は動き出す。

と、めちゃくちゃ話が逸れてしまったのだけど、
図書館で見つけた一つの本から生まれた、太鼓への興味。
大きな太い「問い」に対する答えがあるのかは分からないけれど、
この道草は、おそらく太い問いにつながっている。
とにかく僕は「大太鼓の館」に行ってみたのだった。

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