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道草食べる通信#2 「後ろめたさの正体。」

前回の続き。

熊の革をどう使っていけばいいのかについて毎日のように考えている中で、「皮や革」がヒトにとってどのような意味があるのかについて、いろいろ調べていた。そんななか、ある本の中で、木と皮で出来た「太鼓」がことばを発展させたという記述を見つける。

太鼓を調べることで何かがわかるかもしれないと思った僕は「まず作ってみたい」と思い立つ。でもなんだか適当に作るのも嫌だしなあ、どうしようかなあと悩んでいたときに、そういえば、自分の住んでいる近くに、「大太鼓の館」なるものがあることを思い出す。

秋田県の北秋田市にあるこの館には、名前の通り大きな太鼓が保管されているほか、世界各地の民族で使われていた(いる)太鼓が所狭しと並べられている。

こんなにも近くに太鼓を知るための鍵があったにも関わらず、今まで気づかず素通りしていたことに苦笑しつつ、でもそういうもんだよな、というようなことを前回のnoteで書いたのだった。そして今回はいよいよ「大太鼓の館」に入る。

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大太鼓の館での一番最初の展示が「大太鼓の出来るまで」という写真展示。
太鼓をつくるには大きく分けて二つの工程がある。ひとつは、太鼓の叩く面(これを「鏡」と言うらしい)を作る工程。もう一つは「鏡」が貼り付けられる「胴」を作る工程。「鏡」は動物の皮で作られ、「胴」は木で作られる。この写真展示では、大太鼓の「鏡」と「胴」がどのように作られ、どのように貼り付けられるのかについて、12枚の写真と短い文章で説明がなされていた。

太鼓情報を欲している自分にとって、この展示は喉から手が出るような情報だったのだと思う。1枚目の写真から、ガツンときた。
その写真というのが、樽の中に入っている「糠で鞣された牛の皮」を、職人が取り出して、その皮の厚みを専用の道具(刃物で余分な厚みを削ぐようなイメージ)で均一にしている、というもの。

当たり前のこと過ぎて、書くのも恥ずかしいけれど「あの太鼓、作っている人がいるんだ」ということにまずガツンときた。館に保管されている大太鼓の直径はなんと3m81㎝もある。そんな巨大なものをどのようにして作るのか、想像する力は僕にはない。そういう意味でこの写真1枚で一気に、大太鼓から生身の人間を感じることができるようになった。

そして当然、「皮を削ぐ」という作業自体にも、感情が移入していく。牛と熊では大きさも重さも全く違うだろうけれど、皮を扱う人間として、その作業空間に入り込むようにして写真をみた。

後々太鼓の「鏡」になるとは到底思えないくらい「だるんだるんの皮」(おそらく相当重いはずだ)を板に載せて、皮の厚みを均一にしている職人さん(どういう感覚で薄い厚いを判断するんだ?どういう技術?)。傷の有無の確認をしたり、皮それ自体の品質を最終チェックする。安易に想像してはいけないくらい大変な作業だ。匂いもきっと相当なものだっただろう。
「鏡」は40年〜50年単位で張り替えの時期がくるそうなのだけど、それは職人さんがいてこその芸当だ。力一杯バチで叩かれまくる「鏡」が、これだけの年数を経ても壊れないことは、この作業がどれほど重要な工程かを物語っている。

胴のことは紙幅の都合で割愛するけれど、大型の機械で何枚もの木を張り合わせ樽状にし、中には鉄骨を仕込み補強する。ほとんど大工事のようだった。「大太鼓のできるまで」を見れたことで、僕の中で太鼓に対するイメージがまた変化した。

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前回のnoteでは、僕の太鼓のイメージは、お祭りで使われる宮太鼓から、大昔の原始的な太鼓のイメージに生まれ変わったということを書いた。その原始的な太鼓は、音が出れば十分というような、ものすごくミニマルで起源的なものである。

しかし、これらの写真を見たことで、その原始的な太鼓のイメージから「現代の太鼓」へと、またイメージが回帰してきたように思う。しかしそれはお祭りの太鼓、という完成されたイメージではない。大昔の太鼓から現代の太鼓への「進化の過程」のようなイメージである。

毛がついたまま鞣された皮ではなく、しっかり脱毛され厚みも均一になった皮。切り株の中身をくり抜いただけではなく、鉄骨で補強され、音の広がり方も研究された胴。これらを組み合わせた最強の太鼓。職人の技術が随所に仕込まれることで、洗練されたものへと進化している太鼓のイメージである。

と、こういうイメージを持ってしまうと、作ることに尻込みしてしまうような気持ちになってくる。僕には太鼓を洗練させる技術なんてひとつもないからだ。技術はないけど、とにかく作ってみました、と今までの僕ならやるかもしれない。「音が出ればいい」というような太鼓を作るのは気が楽だ。人に見せるわけでもなかったら、それでもいい。

しかし、僕は大太鼓の館でこれらの写真を見てしまったせいで、とにかく作ってみました的な原始的太鼓を作りたいとは思わなくなってしまった。いや、そんなことを言っても原始的な太鼓しか作れないのだけど、形は原始的でも「そんな気持ちでは作りたくない」と思っている。ノリで作りたくない。
でも、再三言うけれど自分には技術はない。どうやったら技術には依存しない形で、自分の納得したものが作れるんだろう。この問いは、太鼓の問題だけではない。僕がこれまでつくってきたものと、その裏にある後ろめたさにも直結する問いだ。

少し、考えてから、職人さんの持つ太鼓を洗練させる技術が「なぜ生まれたのか?」「なぜ受け継がれているのか?」について考えることで、この問いに対する答えが得られるのかもしれない、と思うようになった。

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さきほど、皮の厚みを均一にするという職人の技術は、40年〜50年もの耐用年数を持つ大太鼓を作るうえで大きな役割を果たす、と書いた。これは技術を製品機能の向上として捉えたときの一面的な見方だ。

「なぜその技術が生まれたのか」について改めて考えてみると、そこには、製品機能の向上という側面以上に、「皮になった牛の命を無駄にしない敬意の表れ」であったり、「できるだけ長く、大切にものを使い続けたいという人間性の表れ」というような、ヒトが大切に受け継いできた「意思」のようなものが浮かび上がってこないだろうか。

技術の生まれた背景を考えることで、何かをつくることに対する後ろめたさの正体がわかったような気がする。とにかく作ってみたいと衝動的に動く自分は、「技術」が内包している、ヒトの「意思」や「思い」や「願い」のようなものを全く無視したものづくりをしてしまっていた。これが後ろめたさの正体なのだと思う。

しかし「とにかくやってみた自分」を完全否定はしたくない。やってみたからこそ、いまこうやって考えられているのだから。でも、間違いに気づいた今、きちんと反省して修正したい。とにかくやってみる前に、作っている人たち、作っていた人たちのことを知る、学ぶ。その段階を踏むことで、すべての技術を学んだり習得したりは出来ないにしても、その背景にある大切なことについて、思いを馳せながらものをつくることはできると思う。そして年月が経ち、勉強する姿勢さえ失わなければ、その総量は大きくなり、技術に依存せずとも、十分に自分自身が納得したものづくりをできるのではないかと思う(もちろん年月が経つことで技術が発達する可能性もあるので、完全に技術に依存せずとはいえないけれど)。

ずっと感じていた後ろめたさの正体が太鼓のおかげではっきりしたような気がする。たぶん僕は前よりも晴れやかな気持ちでものをつくることができると思うし、もっと自信を持ってつくることができると思う。

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筒状のものに皮を貼り付ければ、一応は太鼓になるよね、と、太鼓の構造だけを理解してとりあえず作ってみよう、となること。
いや、大昔の人は太鼓を儀式や呪術に使ってきたからこそ、素材に少しこだわって、「どんぐりの木」と「どんぐりが大好きな熊の皮」で出来た、原始的な太鼓を作ってみようよと、なること。
いやいや、皮の厚みが均一でないと長く使えるものにはならないし、いい音にもならない。動物への敬意があるのならそこまで考えて作るべきでは?と、なること。

このように、つくることの意味がどんどん足されて、それに伴う技術を要求されて、僕は今を生きるのがすごく苦しかった。昔だったらどんなによかっただろう、と何回思ったか。何の意味もない森で、ただただ必要なものを作る生活ってどれだけ楽で、どれだけ心地いいんだろう、って何度も思った。だから、何かを知ることや、勉強してしまうことで、また意味が余計に足されて、もっと生きにくくなるんじゃないかと感じていた。

でもそれは全く逆だったと今は思う。

技術それ自体の意味を知るだけではなく、その技術が「なぜ生まれたのか」を考える。それによって、生きるのが苦しくなるどころか、むしろ世界は広がる。
勉強し、考えることで、俺は何にも捉われたくないし、意味も考えたくないから、何も勉強せずにいきなりつくる、というような「(不遜な)決断主義」や、逆に「自分のような技術のない人間が作ったものなんて世の中に出せるわけがない」というような「技術第一主義」からも抜け出すことができると思う。技術そのものも、もちろん大事だけれど、その技術を用いることで、ヒトが大事にしようとしていたことにも目を向けたい。その技術の数だけ、大切なことが浮かび上がってくるはずだし、それらは僕らを縛り付けるのではなく、より自由にしてくれるはずだ。

すべての「意思」や「思い」や「願い」を内包したものづくりには、それこそ「技術」が必要だと思うけれど、最初から洗練された技術を持つことなんて不可能だ。だからこそ「今回はここ見逃します、ごめんなさい」と思いながら、そして伝えながら、何かを作っていきたいなと、僕は思っております。そしてもちろん、用いることが出来た技術とその背景はハッキリと伝えながら、ものづくりをしたいと思っています。

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と、まためちゃくちゃ長くなってしまった。
こう考えていると、勉強にキリなんてないよな、と思う。僕が「大太鼓の館」で学んだことは、太鼓のなかでも初級も初級だ。実際に大太鼓が作られた場所である青森県の弘前に行ってみたり、太鼓の専門書を読んでみたり、やれることを挙げ出せばキリがない。でも、それを全部やり切ってから作るというのでは人生が終わってしまう。だからこそ、一つの事柄からしっかり学んで、暫定解を出す。その上で学び続ける姿勢はやめないことが大事なのだ。

「大太鼓のできるまで」という写真展示を見たところから、ここまで書いてきてしまったけれど、もちろんこの後にもすごく勉強になることがたくさんあった。世界にはたくさんの太鼓があり、それらの太鼓はそれぞれの地域で、ものすごく重要なものだった。

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