不登校が「甘え」という人たちへ

先日、フリースクールを主な事業とするNPO法人を立ち上げました。

それで、当noteも、現在の教育関係についてのあれこれを語る場にしようと思っています。

さて、「不登校」である子どもたちに対して、「甘え」だとかなんとか、それ系の批判がよくありますね。あとは、なんだろうな、こう、学校で友達からからかわれたりして、それを先生に訴えたら「それぐらいよくあることだ」みたいに言われてしまう、とかね。今の子どもたちに批判的だったり、今の子どもたちが精神的に(肉体的にも)弱くなっている、ということを言ったりする人いるよね。

まぁ仮にそうだったとして、「それ指摘して解決すると思うの?」というわかりきった反論は一旦置くとして、そうした人たちが何を見落としているのか、説明していきましょう。

今の子どもは人間関係が単一・昔の子どもは多重。

現在、ほとんどの子どもは、地域や家庭において何の役割も持っておらず、「学校で勉強をする」あるいは「(学校的な価値観の中での)いい子になる」という以外に何の役割も価値基準もない、そういう世界で毎日を過ごしています。

30年前、僕が小学生だった頃は、そうではありませんでした。子ども会など異年齢の子ども集団で遊ぶ機会が多く、学校におけるクラスや同級生内でのポジションや役割に加え、上下の異年齢間におけるポジションや役割りが重層的に存在していました。

「自分ー同級生」「自分ー上級生」「自分ー下級生」

こうした重層的な関係で普段から遊び、人間関係が形成されていました。

関係の多様性は「承認機会」の多様性である

ここで重要なのは、人間関係の多様性は、他者から認められる経験の多様性に通じるということです。当たり前ですが「他者から認められる」機会は、関係の多様性に応じて存在しています。複数の場で多様な人間と関係を構築している人は、その場の数に応じて認められる機会が存在しています。わかりやすく言えば、会社と家でしか生活をしない人間と、それに加え、近所づきあい、地域、PTA、趣味サークルなどでも活動する人間で比較すると、後者の方が明らかに他の人から認められたり、「楽しかった」という感情を共有する機会が多いということ、です。

学校以外の価値基準の存在

また昔は、親や先生も知らない「子どもたちだけの世界」があり、そこでは親や先生が眉をひそめるようなことが価値を持ち(たとえばカナブンを爆竹で爆破させるとかね。)、学校や親が求める道徳的な「いい子」では仲間として認めてもらえない世界が確実にありました。いい悪いは別にして、先生や親であれば絶対に止めるはずの行為こそ、それができなければ「しょぼい」認定されてしまう行為でした。それは、学校や親が子どもに求める道徳性の外部にある、学校とは切り離された価値観の中で認められる経験をしていたと言い換えることができます。いわば、僕らは「いい子」的価値観を経験的に相対化していたわけです。しかもそれは僕の記憶にある限り、小学校1年よりも、もっと下の年齢の時からです。

非(反)学校的価値こそ、学校をやり過ごせる根源

子ども間の関係が単一のものではなく、多様で多層であり、しかもそこでの経験がふんだんに学校外の価値の存在を体感させてくれていたからこそ「学校」で嫌なことがあっても、あまり気にならなかった。僕はそう考えています。

「学校」で少し嫌なことがあっても、学校が嫌な場所であっても、自分が生きる世界が「クラスだけ」「学校だけ」ではなかったので、適当にやり過ごすことができたわけです。

しかし、今の子どもたちは、学校の中での関係が学校以外の場でも持続し、学校の中でのポジションが学校を超えて継続しています。

地域の大人との関係の多様性

また、この一人の子どもを取り巻く「人間関係が多様で多層」というのは、「子どもの世界」内だけのものではなく、大人たちとの関係も「多様で多層」でした。

当時は、今ほど家事も家電化されておらず、子どもが家庭内で何らかの家事の役割をもっていることも珍しくありませんでした。家業を手伝っている子も少なくありませんでした。「勉強する以外」の役割を子どもが家庭で持っていたわけです。(今は、幸か不幸か、多くの家事が家電化され、子どもたちが手伝わなければ暮らしが回らない、という状況はありません。)

また、地方都市では、今のようにモータリゼーションやロジスティックスが発展しておらず、生きていくのに必要なあれこれは、徒歩圏内でまかなっていました。単に「商店」があったということではなく、町内単位で「商店街」が存在し、木工所や電気屋も、徒歩圏内に存在していました。多くの子どもは「〇〇さん家の〇〇くん」という風に、行く先々で覚えられていました。「お客さん」(消費者)としてではなく、地域の中で、自分の存在を個別に知ってもらっていたわけです。大人たちと関わり合う世界においても、子どもは「多様で多層」な人間関係に埋め込まれていた。しかも、町内の廃品回収などで関わるおっちゃんたちも、「いい子」よりも、調子よくて快活で、若干悪いぐらいの子どもの方を、むしろかわいがっていましたし、子どもたちをトラックの荷台に乗せたまま、平気で国道を運転していました。関わる大人たちも、学校的価値の外で生きている。そんなことを僕らはそこから学んでいた。

こんな風にして、僕が子どもの頃は「学校」以外に、多様で多層な人間関係があり、そこで承認されたり、褒められたり、避難したり、遊んだりしていたんですね。「生徒」である以外に、たくさんの「役割」があり、自分の「存在意義」を感じられる関係を持っていたわけです。「学校の生徒であること」は、自分の生きている世界のごく一部でしかないよ、ということを体感していました。

この辺の記憶は、たぶん今の子どもたちを「弱い」と批判する大人の人たちも似たり寄ったりではないでしょうか。当時を想いかえしてみてください。

現在の子たちが生きる日常

かつて1人の子どもの周りにあった、そうした多様で多層な人間関係(いくつものポジションと役割り)と非(反)学校的価値は、今現在では、子どもたちの周りからほとんどが消えうせ、子どもの多くは「学校で勉強をする主体」としてのみ生きています。(そして多くの大人たちも、義務教育期間中の子どもを「学校で勉強する主体」としてのみ還元してしまっている。)

これは、言い換えれば、彼らが承認を調達したり、存在意義を感じられる人間関係が「学校」や「クラス」の中にしか存在せず、そこで人間関係に失敗したら他に生きる場所がないことを意味しています。彼らは「学校の外」に自分が生きる場所を想像できない。

学校の中でも、学校の外でも、ずっと同じ人間関係。そうなると下手に対立もできない。いわゆるスクールカースト下位ポジションだと、学校にいる限り永遠に承認から見放されたままになってしまう可能性もある。(加えて、学校の外でも、ずっと同じ価値観が付いて回る。おけいこごとの先生も、クラブチームのコーチも、親も、学童の先生も、誰もかれもが「学校的価値(いわゆる教育的価値)」の範囲内でしか子どもたちを承認しない。)

彼らはそんな過酷な日常を生きているわけです。単一の人間関係と学校的価値観だけから、自分の承認と存在意義と楽しみを見つけ出さなくてはいけない。彼らにとっては、そこでの人間関係がすべてです。

だからこそ、僕らが子どもの頃だったら冗談交じりの「からかい」としか感じないようなことを受け流せない。もちろん言われた瞬間は僕らもムカついていたと思う。でも、そのことばかり考えなくてすむ、他の人間関係がありました。学校の先生に怒られても、トラックの荷台で奇声をあげてもそのまま受け入れてくれる大人がいました。

しかし、クラスが唯一の承認源となっている今の子どもたちにとっては、クラスでからかわれることは全世界からバカにされていることを意味するし、学校・クラス以外の「他の人間関係」が希薄だから、「からかい」とそれにまつわる人間関係のことをずっーーーーーーーーーーと考えざるをえない。スクールカーストでのポジショニングで認められること。「いい子」でありつづけることで認められること。

そこ以外に自分が生きる場所がない。

大人だって、会社だけが自分の生きる世界だ、と勘違いしてしまい、極限まで頑張って心を病んだり、あるいは過労死してしまうこともありますよね。

こんな状況を子どもたちは生きているわけです。

そして、これは単に人間関係上の問題だけに限りません。「学校で勉強をする主体である」という以外に何の役割もないということは、何かの拍子に「学校に行く意味がわからねーわ」と本人がなった段階で、自分の存在意義が消えてしまいます。学校外に何らかの役割があれば、そこで自分の存在意義が感じられるけれど、そんな場所は彼らの多くにはない。だから、「唯一の役割さえ全うできない自分はゴミだ」という考えから抜け出すことも難しい。(本来であれば、そうなる前に彼らに学校外での社会的な役割を大人が与えてあげとかないといけないのかもしれませんね。)

昔の子どもが心を鍛えていたわけではない

結論です。

今の子どもたちのあれこれを「甘えだ」とか「精神的に弱い」とかいう大人が見落としているもの。それは、今と昔の、子どもたちを取り巻く人間関係環境の違いです。

僕らも「学校なんか嫌だな」と思う日はありました。それでも学校に行き続けることができた。

でも、それは「心を鍛えていたから」ではありません。

単に、僕らの周りに「学校嫌だな」と思う気持ちを極大化させてくれないほど、豊かな人間関係があっただけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?