死ななきゃ何とかなる

#8月31日の夜に  というハッシュタグでnoteを書いてみませんか、みたいな案内がnoteのトップにあった。

わたしは8月31日に限らずいじめとか孤立とか成績の問題で小中高ずーっと学校にいきたくなかった。それでも不登校にならなかったのは塾に行きたがらなかったわたしを親が「お父さんにもっと叱られるよ!!」と叱責したことにある。義務教育でない塾でこれだ。学校はさらに「行かねばならぬ」感が強く、これを拒否しようもんなら本当に引き摺られてでも行かされていたに違いない、……と思う。(実際出社拒否したときは車に乗せて無理矢理仕事に連れてかれた。大人でもどうしても無理な時はあります)

と思うと言うのも、騙し騙しながら学校に通っていたからですが、結果体に嘘はつけなかったのか緊張性腸炎を発症し、登校前には毎朝激痛に背を丸めて唸り、緊張を伴う場面だと未だに症状がでることもあります。

学校、行くかor行かないかで言えば「行くべきではある」程度の感じです。場合による、としか言い様がないので。

ただ、人間あまりにもストレスがかかるとすっと「死に呼ばれる」ことがあって、それは知っておいてよいと思います。本人もその周りも。通過電車が通る時にちょっと緊張してしまうとか、あらゆるものを見ても自分が死ぬ想像をしてしまうとか、そういうことが起きます。

わたしは記憶にある中では3回自殺企図(自殺を実行に移そうとすること)して幸い3回とも失敗してるんですが、その後統合失調症という精神の病を経て、今は全然死にたくない。

いや全く死にたくないかと言われるとちょっと微妙なんですけど少なくとも死ななくとも何とかなったというのが正直な話です。

死にたくなったら、死に呼ばれたらどうするのかというととりあえず、嫌なことの先だけ考える。アニメがあるじゃんとか漫画の新刊出るじゃんとか。切迫してる時はそういうことにも未練が薄くはなっちゃうとは思いますがぜひ思い出してほしい。そういう人を救うために物語ってあると思いますし。

9月10月は秋冬アニメのラッシュだし、冬になれば夏がかすむほどの商戦が始まる。新作のゲームだって出るかもしれません。

それも無理ならせめて遺書を書きましょう。誰宛でもいいから遺書を書こう。親への感謝とかかなぐり捨てて、この世への怨恨全部書き連ねてすっきりしてそれから逝こう。一通にかっこよくまとめる必要などなく、便箋に毎日少しずつ恨みつらみを書き連ねていくとかそういうことでいい。

もしこのnoteを見ている人が9月1日を望まない人ならば、とりあえず死なないでほしい。知らない誰かだとしても誰かが死ぬというのは悲しいから。

あと幻覚見てきた身としては「これ死んでも辛さ続くんじゃねぇか?」という疑念が起こっており死んだところで何ら苦痛からの解放は起こらない可能性があることも併せてお伝えします。

ここまでお読みいただきありがとうございました。よろしければサポートのほどよろしくお願いいたします