『デューン 砂の惑星PART2』

映画みてきた。2021年にPart1 が公開された映画の後篇で、これでフランク・ハーバートによる原作第一巻『砂の惑星』は見事に映画化されたことになる。これまで幾度も映画化・映像化が試みられてきて、放映までこぎつけても出来的にはいまいちだったりもしたのだが、今回の出来で文句をいうひとはそうそういないのではないか。それぐらい見事な映画化だ。

原作の忠実な映像化に近いが、それでもやはり映画向けに調整が行われていて、原作とは正直印象が異なる。しかし前後編の映画としてはとても良い調整で、まとまりよく感じられる。たとえばポールとチャニのロマンス的な部分は原作以上にPart2ではフォーカスがあたる部分だし(その下地を築くPart2の前半部分は(ロマンスに興味がない人間からすると)かったるく感じられもするのだけど)、ポールの母親が宗教、崇拝を利用することで自分たちの立ち位置を確保していく様も、映画向けのアレンジといった感じであった。

しかしそれでおもしろさが減じているかと言えばそうではなく、これによりポールの人間的な苦悩ははっきりとわかりやすくなった。ポールは自分が崇拝の対象になるのを拒絶し、一人の人間としてチャニと付き合うことを望むが、自分の母親も含めた状況がそれを許さない。また、チャニもポールのそうした「自分は救世主ではない」とはっきりと述べる誠実な部分に惹かれたものの、そうも言っていられない状況に陥っていく彼をみて苦悩する。

「宗教、崇拝の力」を描き出したことは「救世主」とはヒロイックでかっこいいものであると同時に、とてつもなく危険なものでもある、という原作から存在するテーマを映画向けに強調した形になっていて、ドゥニ・ビルヌーブの原作理解度の高さとそれを映像に昇華する力の証明でもあった。

第一作目はドゥニ・ビルヌーブがどのようなヴィジュアルでデューンをとるのか、砂漠をどう表現するのかといった新鮮さでとにかく圧倒されっぱなしだったが、第二作目は「砂漠や砂虫をどう描き出すのか」についてネタは割れた状態ではじまっている。それゆえ物語にずっと惹きつけて牽引できるのかとちょっと心配ではあったが、砂だらけの光景は変わらずともロケーションは一変していて印象は大きく異なるし、「砂虫」についても新しい表現方法──「乗る」という形だが──で捉え直していて、異様に美しい。

とある理由(ちゃんとしたこの世界ならではの理由)によって途中モノクロで撮影されているシーンもあるのだが、一作目とは異なる方角から映像表現・演出を考え直していて、素晴らしかった。たいへんおすすめです。

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