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話すように、語りかける言葉には、脈絡なんていらないのかもしれない

気づけば5月。雨降りの日にはどうしても床につく前に一度閉じたMacbookを改めて開いてしまうから、きっと雨が好きなんだろうなあなんて思いながら書き始める。

5月病なんてあったっけなんて考えながらゴールデンウィークに入ろうとしている。4月から働きはじめてからというもの、目まぐるしく日々は過ぎ去るばかり。楽しいと同時に楽しいがゆえの難しさや苦しみもある。とはいえ日々ああでもない、こうでもないと考えるのは大変かというと意外にそうではなくて、それだけ日々変化や試しがいがあるというのは、ひらたくいって楽しいものだ。

「面倒くさがりは面倒を抱えないすべを知っている」というのはまさにそうかもしれない。面倒であることはまったくもって悪い事ではなくて、楽にやる、面倒をなくす、そんな物事をスマートにしていくことはそれだけで価値があったりする。

そう考えると、面倒であることをある種面倒とは思わないというか、面倒でもいい、そして受け入れてしまうところがあるなあ。

以上そんなわけで、考え方について考えたりすることを、ぐるぐるとしている。

4月は釣りにいったり珍しく服を買いに行ったり散歩ばかりしたりしていた。「なにをしようか」と思ったときに歩くことばかりが思いつくようになったのは今年からだ。

釣りは人生で初めてでして、逗子へいった。いい天気なのはよかったものの、波は大荒れ、みんなは船酔い、結局全然釣れず、なんて感じでずいぶんな目にみんなであってしまった。しかし、「なんだか釣れませんねえ」と釣りをしている人風なことを身にしみて思えたことは、密かにやってみたいことのひとつだったので、思わず「釣れませんねえって、言ってみたかったんですよ」なんて話もしていた。

服を買いにいくよりも、見に行くことの方がこれまでの人生の中では大半だったんじゃないかな。ウィンドウショッピング的なあれなんだけども、店の中まで入って実際に手にとってみるから、窓越しのウィンドウショッピングかというとそうではない感じがするけども、とにもかくにも服は買わずに終わることの方が多い。

そんな中先週は「いざ買おう」なんて意気込みで渋谷を回って歩いた。どうにも自分で考えたり決めようとすると、時間がかかってしまったり、あまり似合わないものを買ってしまうことが多いから、服好きな友人と一緒に回ってもらった。

結局、友人がいろいろと勧めてくれている中、不意に気になって手にとった服が気に入ってしまって、そのジャケットを買うことになったのはなんだか申し訳ない気分がする。とはいえそれでも、「いいんじゃないか」と後押しをくれることは、なれない買い物をする中ではずいぶんと力強い決め手となる。やはり困ったときには詳しい人に聞くのが一番だなあと思う。

なんて脈絡のないまま4月について振り返っているけれども、暮らしの手帖で編集長を長年つとめていた花森安治さんの著書、『一銭五厘の旗』を読んでいたら、多分に影響を受けてしまったという気がしてくる。

安治さんの文も、「脈絡のないまま話がつづいてしまっているけども、せっかくだからこれについてもう少し書く」といった具合に文章がつづいていくのを目にすることが多い。脈絡のない方がすっと入ってきてよみやすいときは、あまりしっかり順序立てて物事を考えようとしているときな気もする。

まるで、話すように、語りかける言葉には、脈絡なんていらないのかもしれない。なんでもない友人との会話は脈絡なんてないものがほとんどだし、むしろそうであってほしいことのほうが多いんじゃないかな。うまく言葉には言えないのだけれども、ラジオが好きなのはきっと、その人が脈絡もなく、自然体で話しているときにふとこぼれ出てくる言葉に、共感するからだろう。

「語りかけてくれているようだ」というラジオについての批評はまさにそうで、だからこそ投稿した内容が読まれたり取り上げられたりすると、一気に体温が上がるようにうれしい。

ほぼ日の糸井重里さんの毎日更新されている日記も、まさにそんな感じだ。「気づいたら思ったことを書いているだけでほら、もう文量の終わりの方まできちゃった」という日の投稿の方が印象に残っているから不思議だ。

さて、なんの話でしたっけ。そうですね、5月になりましたね。きっとまた気づいたら1ヶ月が経ってしまうかと思いますが、1ヶ月後にはまた違う景色が見れていることを楽しみに、没頭する1ヶ月にしていきたいです。それでは、よいゴールデンウィークを。

(最後まで読んでいただけただけで十分です…!ありがとうございます!)