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喘息じゃなかった!腺腫様甲状腺腫だった件 vol.2

さて、タイトルのvol.1からの続きです。

救急搬送されて・・・


救急搬送された先は、赤十字病院。
問診をされながらですが、酸素吸入や安静にしていたこともあって、呼吸は少し落ち着きてきました。

スマホを使っていいということなので、急いで、仕事関連に連絡。
幸い、講演会はスタッフの協力によって無事開催され、また、本部より、講師を急遽派遣してもらえることになり、仕事のほうは大丈夫になりました。

しかし、さすがに命と隣合わせだったからか、仕事がどうなるかなどの心配は頭からすっとんでいて、とにかく、生きること先決で、今自分の身に起きていることにしか頭は働かなかったです。

ただ、都度、講演会へ来てくださっている所長さんへは、こちらの状況は連絡を入れていました。

専門医が別の手術で不在、数時間待たされる



様々な検査によって、甲状腺に何かある、ということがわかってきました。
赤十字病院の救急で、たくさんのスタッフがいましたが、そこには研修医も多く、なるほど、近くの大学の医学部から来ているな、ということがわかりました。

でも、一応、何人かの救急対応の先生で、所見を観てくれて、甲状腺であることを突き止めてくれました。

専門医が他の手術に入っているということで、それが終わってからこちらに来ます、ということですので、待ってください、と。

それで、一応、さらに詳しく甲状腺をエコーで検査されました。
そのとき、3人ぐらいの先生が一緒に診ていましたが、
「綺麗だよね」という声が聴こえてきました。

だから、ちょびっと安心はしたものです。

しかし、複数の先生が、あーだこーだと話をしていました。
救急なので、原因を特定しなければならないからでしょう。

とにかく、専門医を待ちました。

周波数遠隔で体が楽になった瞬間

先生を待っている間、私は、ヒーリングウェーブの仲間に、LINEで周波数の遠隔をお願いしました。

ヒーリングウェーブを使って、周波数を相手に遠隔ができるのです。
それで、「愛」の音や、緊急時の音など、たくさんの人が緊急で送ってくれたように思います。

こういった遠隔の周波数は、それほど強い体感があるわけではありませんが、そのときは、フっと体が楽になった瞬間がありました。
皆に依頼した後です。

そして、おかげで、その後は、ほんとうに呼吸も穏やかになり、だいぶ落ち着いてきました。
また、顔色も良くなったようで、
「看護師の方が、ちょっと安定されましたね、お顔の色が良くなられましたね。」
と言ってくれました。

周波数すごいなー、と改めて感じた瞬間でした。

先生到着、触診、救急措置

夕方4時過ぎぐらいだったと思いますが、ようやく専門医の先生が到着しました。先生は、年季の入った方で、ベテランな感じですね。

先生は、入ってきて、状況の報告を受けながら、私のところにきて、
「ちょっと触診させてもらうね」といって、甲状腺のところに触れました。

「あー、これは、膿のようなものが相当溜まってるね」、と。
「膿?」
「甲状腺に袋が出来て、そこに水分や血が混じることがあるけれども、膿みたいな感じで溜まることがあるんですよ。
たぶん、これが大きくなって気管を圧迫していたんだね、と。」

(なんだ?なんだ?袋?膿?ガングリオンみたいなやつか?)

すると、先生は、これは、膿を抜いちゃえば楽になるから、今から処置しますね。

そういって、まるで血液検査のときに血を抜く要領で、甲状腺のところに針を刺して、注射器で抜いていきました。

「だいぶ溜めたねー、いつから?」
「3年ぐらい前から症状はありました。」
「そう、まだ抜けるねー、おー、すごいね」

結局、かなり抜きました。

でも、処置はそれだけ。
で、そのあと、再度CTを撮って、気道を確認。

先生が、
「運ばれてきたときの気管はこんなに細くなってたの。
これが呼吸困難の原因だったね、と。
で、今、撮ったCTでは、これだけ気道が広がっていますから、とりあえずは大丈夫ですよ、」と。

で、「名古屋から車で来てると聞いたけど、今夜はどうするの?」と、先生。

「一応、ホテルで宿泊予定です。」
といったら、
「今日、名古屋に帰りなさい、2時間ちょっとでしょ」と先生。

「救急の対応はここまでしかできないです。
今、膿を抜いたので、しばらくは大丈夫だと思いますが、また溜まりますよよ」

「もし、何かあったとき、地元の名古屋にいたほうが、安心ですし、ご家族も安心でしょ。今日すぐにはたまらないので、今日帰ってください。」

と言われたのです。

「名古屋のかかりつけの病院はありますか?紹介状書きますから、できたら、明日、そこへ行って、詳しく診てもらうと良いです。」

そういって、紹介状を書いてもらいました。
また、たまたま名古屋で指定した病院が、翌日、専門医が担当で入っているらしく、予約も病院のほうで全部手配してくれました。

紹介状をもらって病院を出たのが、17時30分ぐらいだったかと思います。
なんとか、講演会の会場へ戻ることができ、一応、それで収まりました。

呼吸ができるようになって、元気も戻りました。
それに、朝から何も食べていなかったので、お腹がすきっぱなし。

懇親会で用意していた店がありましたので、私は元気になっていたので、
名古屋に帰るにしても、ご飯食べて帰りたいので、懇親会はそのまま開催。
ほんとにおいしい食事で生き返りました!

疲れた体で、救急搬送された夜に、車で高速を走らせて帰るというギャグみたいな話



そんなこともあって、救急搬送された大変だった1日、そのままゆっくりと寝たいところでしたが、車で名古屋の戻る、という大仕事が残っていました。

だいぶ疲れています。
かなり雨が降っています。
スタッフも乗っけていかなくてはなりません。
誰も運転ができないので、運転を代わってもらえません。
いえ、運転ができる人もいましたが、私がまあまあ大きい四駆に乗っているので、たぶん、雨の中の運転は、慣れない人には怖いでしょう。

まあ、頑張って、運転して帰ってきました。
しかし、私の声にも元気が出ていたので、スタッフも安心していたようです。

とにかく、私は呼吸ができることの幸せをかみしめていましたけどね!

ほんとにお騒がせな1日。

でも、普通、救急搬送されて、夜、長野から名古屋へと、雨の中、高速道路を運転して帰ってくるという事態も、なかなか経験することではありません。

タフすぎる私💦

しかし、帰ってからは相当疲れていました。
そりゃ、疲れるよなー、って思いながら、その日は、お風呂も入らず、即効で寝ました。

翌朝、午前中に名古屋の病院へ行く予定になってましたから。

vol.3へ続く


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