【日記】中国でおばあちゃんのお葬式に行ってきた

6月半ば、おばあちゃんのお葬式に出るために中国に行ってきた。

おばあちゃんちは鄭州から車で2時間ほどのガチ田舎。
村の周りは見渡せる限り畑で、毎年小麦ととうもろこしを交互に作ってる。

写真は9年前、焼き畑農業の取締がきつくなる前だったから煙かった。
今は罰金が厳しいからだいぶ空気がよくなってる。

おばあちゃんが亡くなったのは金曜日の深夜で、わたしが着いたのは火曜日の夕方。
母はわたしより3日も早く着いてて、出発前に電話で連日35度超えだって聞いたから、
遺体が腐らないか心配したけど、冷蔵棺桶に入れてるからへーきへーきって言われた。
もちろんそんなもの見たことないから普通の棺桶に冷蔵機能が付いてるのかなと想像したけど、
着いてみたら冷蔵のディスプレイケースみたいで面食らった。

これとほぼ同じだけど、下が緑だった。
しかも写真の金色の装飾があるところに業者の電話番号がかなり雑な字で書いてあった(盗難防止?)。
あまりにも想像とかけ離れていたからこんなんでいいのって困惑したけど、気にする人はいなかったみたい。
というかおじさんとか普通におしゃべりしながら寄りかかってた。不謹慎すぎるだろ。

おばあちゃんの地方では土葬が主流で、亡くなって数日待ってから埋葬するのが一般的。
一連の行事は、亡くなって5日後の水曜日から始まった。

まず、みんなで喪服に着替える。
多分かなり適当だったけど、みんな白い麻布を身にまとって、頭に白い紙でできた三角をつける。
日本の幽霊が頭につけてる三角巾に似てる。

着替えが終わると、おばあちゃんをちゃんとした棺桶に移し替える作業が行われる。
冷蔵ケースの中にいたときは布で覆われて顔や体が見えなかったけど、ここで布を外した。
母たちはおばあちゃんの顔を見て泣いてたけど、子どもたちには見るなって言ってた。
方言も喋れないし、慣れてない田舎の勝手もわからないから、わたしは未だに何もできない子供のように扱われる。
結局おばあちゃんの顔を見てないのは私、同じく子供扱いされる妹(20)、そして小学生以下の子どもたちだけだった。

その作業が終わると、遺族の男性陣が泣きながら村を一周行進する。
その間、女性陣は家の入口にひざまずいて、男性陣が戻ってくるまで泣いて待ってる。
これは村のみんなに、おばあちゃんの死を正式にアナウンスしてるようなもの。
どっちもなるべく大声で、オーバーに泣きわめくのがいいとされる。
男性陣が戻ってきたら、後ろの方にいる若輩者のわたしたちが、
前で泣いてる母やおばさんたちを慰めながら立ち上がるのを手伝って、みんなで家の中に戻る。
中に戻ったら、頭につけてる三角の紙を棺桶の中に入れて、遺体の周りに敷き詰めてる綿を一つ取る。
「あとで使うから持ってて」って言われたけど、結局使わないまま行方不明になったから謎のままだった。

その後、家の前の道路でお通夜の準備が始まる。これがまたびっくりポイントだった。

空気で膨らます金色のテントに、電飾看板。は、派手!
ちなみに看板には子どもたち(母やおじおばたち)からおばあちゃんへのメッセージが流れている。
このテントの中に棺桶にを一晩置いて、その向かいのステージで深夜まで京劇や歌などをやる。
本当はみんな順番でテントの中で遺体を見守らないといけないけど、ここでも子供扱いされてシフトに入れられなかった。
10歳下のいとこでもシフト入っていたのに。

次の日、弔問客や手伝いに来ているおばあちゃんの知人、ご近所さんたちと一緒にお昼ご飯を食べた。

ざっと100人はいた。絶対タダ飯のためだけに来てる人もいると思う。

お昼が終わると、棺桶を担いで村の墓地まで行進する。その間もずっと泣きっぱなし。
朝から雨で寒かったし、墓地は舗装された道がなくて泥だらけなので、
近くの舗装されたところで待ってていいよって言われた。
おじいちゃんと同じお墓に入れて、あの世でいい生活が送れるように紙でできた豪邸や外車(運転手付き)、冥銭を燃やしてるのが遠くからも見えた。
そういえばおじいちゃんのときに燃やした外車に金髪美女が乗ってたけど、おばあちゃんと修羅場になってないといいねw

これで終わりかと思ったら、次の日にみんなで餃子を作って墓地で食べないといけないらしい。
なんでかはわからないからその時に聞こうと思ったけど、結局その夜妹がひどい食中毒になって
看病のために二人とも行けなかったから結局わからずじまい。
どうでもいいけど夜中に妹のゲロに起こされて、後片付けも手伝ったから、
妹がその日食べた料理は多分もう一生食べれないと思う(^q^)

おばあちゃんが亡くなっても他の親戚はほとんど村にいるのだが、
みんなから「もう殆ど戻ってくることはないだろう」って言われて、自分も心の中でそうだろうと思った。
他の親戚もいつもすごく良くしてくれるけど、家族の中心であるおばあちゃんがいなくなった今、きっと足が遠のいてしまう。
おばあちゃんとは言葉も通じないし、特別仲が良かったわけじゃないけど、
わたしが行くたびに大好物の砂糖まん(真ん中に砂糖の塊の入れた中華まん)を作ってくれた。
戦争や飢餓の不安定な時代を乗り越えて、地主だったのに文化大革命ですべて失って、
それでも強く生きてきて、80になってもいつも忙しく動き回って、ずっと働き続けてきた。
ここ数年は痴呆で幼児帰りして、わたしの知ってるしっかり者のおばあちゃんじゃなくなったけど、
最後にやっと甘えることができたのも幸せだったのかもしれない。

おばあちゃん、おつかれさま。
金髪美女を追い払って、おじいちゃんとのんびり幸せに過ごしてね。

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HY

中国生まれ、シンガポール育ち、日本在住。日本語のセンスを磨くためにいろいろ書いていこうと思います。よろしくおねがいします。
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