コンビニの棚に僕らがもしも、並ぶとしたらどこか分かるかい?

#3 『お風呂上がりの』ーRADWIMPS
 どんな天気になったら夏なのだろう。梅雨が終わってから?梅雨が来てるのか来てないのかわからないような世界なら、どうなれば夏?

*本当に人は他人のことを理解することが出来るのか
 自分のことを一番に理解できるのはいったい誰なのだろう。血のつながった家族なのか、愛し合った恋人なのか、もしくはペットなのかも。誰が理解者なのか。そもそも理解者なんていないのでは。そんなことを考える。

人は他人に自分が考えたこと、感じたことを共感・承認してほしい生き物だ。だから承認し合えるSNSが今では若者たちの必須武器になっている。とすれば、自分を理解してくれるのは他人?いや、アンチという存在もいる。自分を承認してくれる存在をSNSで見つけるということは、同時に自分とは異なる価値観の存在にも気づかされるということだ。そしてそれはお互いに嫌悪感をもたらす。

結論を先に言ってしまえば、私達は自分しか自分のことを理解し承認することが出来ない。好き嫌いが幼児の時から言葉が話さなくても分かるように、自分のことは一番に分かっている。

しかしこの言葉は
「自分のことは自分が一番知っている!」
という言葉として使われることも多い。
そして大抵このフレーズの場合は失敗。
「自分の体は自分が良くわかっているから、自分で決めさせてね。」
この場合はどうか。正解と言えるのか。難しい。
そしてさらに難しいのは
「自分で自分のことが分からない」
というパターン。補足だが二重人格などではない。

人によって自分の理解者になることが良いことでもあり、悪いことにもなり、分からないことでもあるようだ。
とうとうこのテーマの終わりが見えなくなってきた。
要は個人それぞれによるという結論になってしまうのか。
でも他人は自分が思っているよりも自分のことを知らないし、興味がない。

それだったら自分だけは自分の味方でいようね。
自分のことが分からないという人は、多分他の人のことも分かっているようで分かっていない場合がある。本末転倒だ。

人間って似ているようで全く似ていない。
だから喧嘩も暴動も戦争も起こる。
でもだからこそ人を好きになれる。誰かを理解しようとできる。

ちなみに私はコンビニの棚だったら、冷凍食品の棚の冷凍ぶどうにいたいと思う。