親父の金言

 私の父は今考えると実に変わった人だったと思う。演奏家であった父は私が中学1年生の時に「音楽家になりたい」と言った時に「学年で成績が3番以内になったらやらせてやる。ただし、勉強してもいいのは一日2時間まで、それ以上勉強してはならない。その条件で3番以内には入れ。」であった。

 普通の親なら何時間でも勉強しろというのだが、我が父は2時間以内と決めてきたのだ。私は『絶対に音楽の道に進ませたくないからそう言っているのだな』と勘繰っていた。腹がたった私は親の言いつけをきちんと守り2時間以内に勉強をすませ意地になって3番以内に入って見せた(当時は成績を学年ごとに発表されていた)。

 結果音楽の道へ進ませてくれるのかと安堵したのも束の間、次なる条件が課せられた。「音楽の勉強は金が掛かるから、高校は公立高校以外は認めない。さらに滑り止めも受けてはならない。さらに現役で東京藝術大学に合格しなければならない」と言う絶望的な条件だ。ただ、ピアノのレッスンとソルフェージュのレッスン、和声の勉強には無条件にお金を出してくれた。もちろん専門のファゴットの先生も一流の先生にお願いしてくれ、無事入門を果たした。

 そんな生活が中学1年生からずっと6年間続き、無事東京藝術大学へも入学出来た。今考えればこんな好条件で勉強してきて藝大に入れなかったらアホそのものだ。大学入学時に親父から「合格おめでとう。ただ、今は刈り取られたばかりの稲の状態だ。まず大学で脱穀してもらい磨いてもらえ。プロの演奏家というのは一俵の俵の中のほんの一握りしかなれない。さらにソリストはその一握りの中でキラキラ輝いている数粒しかない」と言われた。「エチュード(練習曲)はいくら練習しても構わない。完璧に吹けるのが当たり前だ。ただ人様に聴かせる曲だけは練習して吹けるようじゃダメだ。さらわないで吹けるようにしろ」とも言われた。これは室内楽を教えていただいた海鋒先生からも同じことを言われた。確かに無伴奏曲でなければ、必ず相手がいる状態だ。何かが起こった時に瞬時に反応出来なければならない。練習して吹いているようでは自分の型が出来てしまい反応できなくなってしまうから、この一言は本当に有り難かった。

 父の最晩年、ホスピスにいる父とゆっくりとした時間の中色々と話す事が出来た。父親曰く「俺は子育てには失敗したけど、一人の音楽家を作り上げることには、まあ成功したほうかな。」

 余命3ヶ月と告げられた10年前の今日を思い出して。

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