【人怖】悪趣味
〈第四話〉
私が大学生の時のお話です。
オーケストラ部に所属していた私は、ティンパニ担当のYさんの音が大好きでした。今までに聴いたティンパニの中で、1番良い音がしていたと、今振り返ってみても思います。特にベルリオーズの幻想交響曲での、ティンパニの深く、素晴らしい音色は忘れられません。
そんなYさんですが、見るたびに柄の異なるTシャツを着ていました。Yさんは身長が高く、Tシャツの柄が、ちょうど私の目の高さにくるのです。毎日、被ることが1度も無かったので、「衣装持ちだな…。」と、日々感心して見ていました。
いつも異なる柄の、〈誰か〉の顔をベースにデザインされた、Tシャツ。その〈誰か〉は、子どもだったり、老婆だったりと年齢層も幅広く、おそらくは1度も同じ顔が無かったように思います。
私は相貌失認症ですので、もちろん顔そのものはわかりません。ですが、だからこそ細かいパーツはよく見てしまいます。
目は見過ぎると相手に不快感を与えてしまうので、なんとなく口元を見て相手の感情を読む癖が当時ありました。特に静止している写真の口元は、印象に残ります。
YさんのTシャツにいる〈誰か〉は、いつも笑っていました。
「YさんのTシャツ、毎日柄が違って面白いですよね。」
ある時ついに、私はYさんに話しかけました。
7月のとても暑い日、バイト帰りに個人練習をしようと立ち寄った部室には、たまたま私とYさんだけがいました。
Yさんは「よく気づいたね。」と、軽くTシャツを撫で、「これは僕のデザインなんだ。Tシャツプリントを安くしてくれるところがあってね、まあ、趣味なんだよね。」と、微笑みます。
「オリジナルなんですね!」驚いて、改めて今日のYさんのTシャツに目を落としました。若い女性が、静かに微笑んでいます。
(あれ、私…この女性、見たことある、気がする)なんとなく、嫌な感じがしました。
(誰だっけ、最近見たような気がする…)思い出してはいけないような、そんな気がしました。でも、目が離せません。
「これ、誰か、わかる?」Yさんが近寄り、真顔で私の顔を覗き込みます。正確には、口元は笑っていますが、目が全く笑っていません。射るような目。一気に、鳥肌が立ちました。
「…わかりません。」なんとか声を絞り出し、その場を離れた私には、もう、わかっていました。
(なんで…なんのために?)混乱する私の耳には、蝉の鳴き声。
(まさか、今までのやつ、全部?)
そう、そのTシャツで微笑んでいたのは、連日テレビで目にしていた、殺人事件の被害者でした。
他の部員は、気づいていたのでしょうか。
その日以来、私はYさんを見ないようにして過ごし、1度も話すことはありませんでした。ただ、素晴らしいティンパニの音色と、あの日の事が忘れられずにいます。
これは私の実話です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?