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『コンビニ人間』読書感想文

最初に謝っておくと私はこの作品をきちんと読んでいない。最初の1/4と最後の場面を読んだだけ。都合が悪くって。でも、せっかく触れ合ったのだから何か残さないともったいない!

『人間失格』と似てる?

読んだ後に最初に思い浮かんだのは太宰治『人間失格』だった。人間らしい営みが理解できない主人公、最後までその営みを理解することは叶わず人間ではない存在になってしまう。その人物が自分の心中を吐露しているのだ。この二つの作品を見比べてみようかなと。

内容よりも形式

ただ、大きく違うのと感じたのは文章の構造だ。『人間失格』が手記を第三者が読む形式なのに対して『コンビニ人間』は一人称。読んでいる途中ずっと違和感があって、このことに気づいた時はハッとした。何が衝撃だったのか、言葉にするのは恥ずかしいのだけれど書きたいと思う。

ズバリ!こんな気色の悪い人間に自己投影するのは嫌だからだ!

私は「人間」なので「コンビニ人間」に脳みその中でドタバタ暴れまわられると非常に混乱した。しかも舞台は現代、生活に一番みじかな施設であるコンビニ!圧倒的なリアリティで不気味な存在が描かれている。さらに、この「コンビニ人間」とやらは半端に人間らしさを持っている。焦ったり合わせたりするのだ。場違いな行動をしないようにする。それは私もやる。全く理解できない存在ではないので自分の中にペルソナとして受け入れることができてしまい、「コンビニ人間」に振り回されることに疲れちゃう。(私の「コンビニ人間」への厳しい口調に反感を抱く人がいるかもしれないが安心してほしい。これは同族嫌悪なので。)

『人間失格』ではそうではない。手記である、フィルターがあることで安心して楽しめるのだ。主人公は他人である。彼の人生を体験するのではなく傍観し、共感することはあってもペルソナになることはない。これは娯楽作品である。文字数などで編集者に、手記にすることで読者に気を使って、成り立ちから他人の都合に配慮した形式をとっている。

『コンビニ人間』では作者の都合で書かれている。これはショッキングな作品だ。文の暴力にさらされる。結局のところ、どうやって楽しめば良いのかわからなくなってしまった。『人間失格』はわかりやすかったなぁとしみじみ。精進しなければ。

こんな気がする

「失格」の主人公はマクロ的な気がする。「コンビニ」はミクロ的だ。「コンビニ」はその小さい小さい枠組みで小説に挑戦したのが評価されたのだろうけれど。あと「失格」は非人間でネガティヴな存在(?)、人間を志向するのに対して「コンビニ」は新たな人間でポジティヴな存在、そもそも人間とは別の生物、そんな気がする。

蛇足

いけないと思いつつも読書メーターで『コンビニ人間』の感想欄を覗いてしまった。「普通」についての言及が多かった。突然イライラしてきた。まだ「普通」の話をしているのか!こんなに人間を見つめる作品を読んでおいて自分のスタイルもわかっていないのか!今度「普通」について書いたほうがいいのかも。

締まりの悪いまとめ

みんながこれを等身大の作品としてみているのに驚いた。私はさして新しいこともないし、満員電車で近くの人がしたオナラのような作品だと思ったんだけど…

あとチェーホフの『かわいい女』が浮かんだ。違うかな?

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