小6後半② 無事合格したが・・・


試験当日

試験当日は思ったより緊張しませんでした。親も子も。
それまでにやることはやり切りましたし、むしろ試験の結果よりも「コロナ1年目」だったせいで「当日試験を受けられるように健康な状態でいられたこと」にかなりの満足感があったせいです。もしあそこでコロナに感染していたら、と思うと今でもぞっとします。

私が車を運転して徒歩圏内まで移動、そこから妻と娘は徒歩で移動、という流れ。試験は午前がペーパーテストで午後が面接、面接の順番によって帰られる時間が大幅に異なる、という仕組み。親1名は控室で待つことができたので、妻はお昼まで現地で待機、私は所在もなかったので近場をドライブして待っていました。

昼になって妻と合流し、コロナ真っ最中で外に出づらかったので、昼食はドライブスルーで買ったものを車中で。面接が遅めの時間で待ち時間が長めだったのでドライブスルーをはしごしてスターバックスのコーヒーを飲んだりと時間をつぶして、試験終わりにあわせて妻が娘を迎えに行ってミッション完了。

試験を終えて帰ってきた娘は開口一番「おもしろかった!!」といったのには驚きました。何をもって面白かったのかはわかりませんが、何か充実したものがあったのでしょう。試験終了後は直帰せずに塾に向かい、問題の再現をお手伝い、娘に限らず皆さんよく問題を覚えていたようで、再現もあっさり完了してようやく家に帰ってきました。

合格発表は1週間後

1週間は長かったですね。合格したら・・・不合格だったら・・・といろんな思いが頭をよぎります。今もなお娘の本音はわからないままなのですが、今のところは「別に緊張も何もなかった」とは娘の弁。親だけが緊張していたのかもしれません。受験が終わった反動か、言葉以上には緊張をしていたのか・・・娘はいつも通り学校に通いつつ、ただひたすらゲームをやる毎日が流れていきました。

合格発表の朝、何時頃に家を出て・・・みたいな細かいことは忘れてしまいました。緊張して覚えていなかったのでしょうね。中学校の合格者の試験番号が掲示される(であろう)場所に集まり、寒風吹きすさぶ中、その時を待ちます。

番号が掲示され、そこに娘の番号を見つけるまで何秒ほどだったでしょうか。とても長く感じられる一瞬の間に、そこに娘の番号があるのを見つけた時は涙が流れました。続いて妻が見つけ、妻も涙があふれ、娘も状況を理解して「受かった」と言ったのですが、びっくりするくらい冷静というか、他人事のような雰囲気で驚きました。なんにせよ、無事合格を勝ち取ったのです。

当然その場には塾で一緒に頑張ってきた仲間もいるわけで、選抜クラスで1年生の頃からずっと一緒にやってきたメンバーは全員合格し、皆で喜んでいましたが・・・が、それでもやはり娘の表情は冷静なまま、あまり笑顔もないのです。

また衝撃が走る

合格発表後、合格者に対する説明会が始まる流れだったので、友人・知人たちが1人また1人と会場に消えていきます。そんな中、娘は中々動き始めません。我々も気になって「そろそろ行こうか?」と聞くのですが、「もうちょっと様子を見る」というような返事が返ってきます。様子を見るとはどういうことだろう・・・と思いながら時間が過ぎていきます。

説明会の受付締切まであと10分ほどと迫り、ほぼ皆さんの移動が終わったようなタイミングで娘から衝撃の1言が発せられたのでした。
さ、かえろっか

親は何を言っているのかよくわかりませんでした。妻が「入学しないってこと?」と聞いて私もようやく状況を理解しました。どうやら試験直前くらいから、妻に対しては「やっぱり地元の中学に行くかもしれない」ということをちょっとずつ漏らしていたようなのです。そんなことを子れっぽっちも知らなかった私は頭の中が一瞬真っ白になりました。

わずか数か月ではありますが、様々なサポートをしてきたことを思い返すと、また地元の中学よりかはいくらかの差でしかないかもしれませんがより勉強を頑張る子供たちが多い環境は今の娘にとってプラスになるはずだと考えるに至り、毎朝の通学時間への件などを時間をかけて飲み込んできた親2人にとっては容易には受け入れがたい娘の決断でした。

わずか数分ですが何度も何度も念を押すように娘にその判断について確認をし、親としてはここまで頑張ったのだから「入学手続きをしたほうが良いのではないか」と伝えましたが、娘の気持ちは変わりませんでした。今思えば、その意志の強さは大したもんだなと誉めてやりたいくらいです。

その数分は合格発表の瞬間に番号を探す時間よりもずっと長く感じました。でも、娘の意志の強さが伝わってきたので、私も妻も「よし、帰ろう!」と覚悟を決めて駐車場まで歩いて帰ってきました。もちろん親2人はまだ後ろ髪をひかれています。難関を突破したことの栄誉・名誉とでも言いましょうか、我々はそういったものに預かったことがないので、得たものをみすみす手放すことをどれほどもったいなく思ったか・・・娘はその重さを知らないわけで、後で後悔するのではないか・・・いろんなことが頭の中をぐるぐると回っていました。

それでも、家に帰るころには3人とも冷静さを取り戻していたと思います。むしろ、上手くいったりいかなかったりと苦労をしていた地元のお友達たちと3年間また同じ中学に通うことについて改めてしっかりと覚悟をしなければならないのは間違いありませんでした。決してけんかをするとか何かしら問題になるような関係性に陥ったりしたわけではありませんが、主に勉強の面でフィットするお友達はそうそういないわけで、その意味では大変な3年間になるな、という話は家族で何度も繰り返しました。

長くなりましたしまとまってはいませんが、何にせよ衝撃の長い1日でした。翌日月曜日に、受験をした中学校と受験までサポートしてくれた小学校に事情を説明し、小学校には直接足を運んでお詫びもして・・・という対応が必要だったことも付け加えておきます。それも良い経験でした。娘がいなければ絶対にできないものだったので。


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