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【空想観光学-2】偉人が示した「どこか遠く」はバーティカルの先にあり

『モナリザ』や『最後の晩餐』などの名画があまりにも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは画家・彫刻家であると同時に科学者であり哲学者でもあります。
つまり「万能の人」なのですが、驚くべきは15〜16世紀に活躍した彼の探究が後世の科学技術の発展に様々な影響を及ぼしているということ。

彼の活動領域には物理学・空気力学・航空工学・材料工学・軍事工学など、現代における「空飛ぶクルマ」の研究と変わらない分野が並び、なんと当時既にヘリコプターの概念も発表していたのです。

ダ・ヴィンチが残したこの名言。
僕なりに空想観光学的深読みをしてみると、彼が示した「どこか遠く」とは数世紀先の未来のことで、その未来が当時の想像を遥かに超えて3次元化した人類社会であることをイメージしていたのだと思います。

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Leonardo da Vinci - presumed self-portrait


空気スクリュー

ダ・ヴィンチはいつも様々なサイズのノートを持ち、目にした情報やひらめいたアイデアを書き留めていたそうですが、そんなダ・ヴィンチ直筆の思考ノートのひとつを約30億円で落札したのが、なんとマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ。
彼が入手したのは1510年に書かれた『レスター手稿』という科学文書で、たった36枚の文書だそうですが、その中に記されていた一枚のスケッチが「aerial screw/空気スクリュー」で、見ての通り螺旋状のローターを持つヘリコプターのようなものです。

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そこに記されたテキストは「太い針金で縁取られた半径約5mの布製の螺旋型のプロペラを軸に取り付ける。軸は薄い鉄板で作り、強くねじ曲げると、元にもどろうとする力でプロペラは回る。」で、ヘリコプターと原型と呼ばれています。
いや、見るからにバーティカル(垂直)離発着しそうなデザインなのでドローンや空飛ぶクルマの原型と言ってもいいかもしれません。

ちなみに1986年に全日本航空事業連合会が4月15日を「ヘリコプターの日」と定めましたが、この日はレオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日です。

エアラインはベンチャー企業

高度経済成長期に育った少年期の僕にとって飛行機は「高嶺の花」の憧れで、「乗るモノ」というより「見るモノ」でした。
伊丹空港へドライブして、離発着する飛行機を見てお食事…
そんな家族の週末観光が半世紀近く前には成立していたと書くと若い人は驚くかもしれません。

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当時の鮮明な記憶として残っているのが全日空の尾翼に描かれていたこのデザイン。
今では「ANA(エー・エヌ・エー)」の名で親しまれている全日本空輸株式会社ですが、「全日空」時代の旧ロゴはダ・ヴィンチの空気スクリューがモチーフで、エアラインのマークとしては少し違和感を感じながらも、大空へ飛び立っていく様にワクワクしたものです。

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ではなぜ同社がこのデザインを採用していたかというと、ANAの前身は「日本ヘリコプター輸送株式会社」で、1952年に2機のヘリコプターと10数名のスタッフでスタートしたからです。
様々な「夢」を発明したダ・ヴィンチの遺伝子を受け継いだ日本のベンチャー企業が、70年をかけて今では日本を代表する航空会社となったわけです。

今から70年後の2092年は21世紀末。
2020年代に数台の「空飛ぶクルマ」でスタートしたベンチャー企業が日本を代表する企業になった…
そんなサクセスストーリーが「どこか遠く」に可能なはずです。

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ダ・ヴィンチの名言に記された「全体がよく眺められるようになる」というポジションを言い換えると「俯瞰(ふかん)」です。
俯瞰という言葉には、高所から下界を見下ろす物理的な意味と広い視野で世界をとらえる比喩的な意味があります。
レオナルド・ダ・ヴィンチとは様々な作品を通じて未来をデザインした「俯瞰の人」だったような気がします。

実は、彼が残したこの名言には続きがあって、「不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます」と締めくくられています。
全体を俯瞰できるようになれば、社会の課題が明確に見えてくるということでしょう。

僕たちが「空飛ぶクルマ」を活用して行うべきこと。
それは、「どこか遠く」へ垂直移動して世の中の「不調和」や「アンバランス」を正すことではないでしょうか。

/HYOGO空飛ぶクルマ研究室 CHIEF 江藤 誠晃

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