「行っちゃダメー!」

よくドラマで
周りが止めるのに、危険な場所に行こうとしている登場人物
と言う設定があるよね

「行っちゃダメー!」

って視聴者である私達がTVのこっち側で叫んでも

行ってしまう

そして、事件の被害者になってしまう

あれは全くなんだろうね と

でもあれ、わかった

本人は「自分がなんとかしなくちゃ!」

と、正義感を持っている
(あ、もちろん、色んなシチュエーションがあるから、こればかりではないです。
一つの例ですよ)

今、私が行かないと
あの時行っておけばと後悔する
だから行くんだ、と

でもこれ、うまくいけばOKだけど

失敗すれば

「なんで行ったの?」ってことになる

私これの謎が解けた

非常に矮小な例で申し訳ないのだけれど

自分の悪口を言ってる人がいるとする
(またくだらなくてすみません)

行けばまた新たにそういうものを目にしてしまう

「行かなきゃいい」と人は言う
「もー気にするな」と

でも、そこに何が書かれているかを
見に行かないではいられないという
強い想いもある

なんだろうね

気になって気になって仕方がないのね

見て嫌な気持ちになったとしても
そこ止まりになる
想像を膨らませるのはストップすることが出来る

そういう時は結局、行ってしまったりするのよね

気持ちを落ち着かせるために

ドラマの登場人物が危険な場所に行ってしまうのも
そういう気持ちなのかな
と思ったのだ

みんなが止めても行っちゃうもんね

無償奉仕にもこういう面がある

行けば自分の身に危険が及ぶかもしれない

それでも行くことが尊いと感じるから行く

そう言う場面がある

でもそこで命を落とした場合、どう考えたらいい?

行くべきだった?行くべきではなかった?

確かに多くの人を救うものすごく清く正しく美しい事であっても

行って何とか出来るという見込みが薄い場合は、行っちゃダメ?

何とか出来るという可能性が充分に高い時だけ行っていい?

どんなに想いが尊くても
上手くいく確率が低いのだったら
それは行くべきではないのではないだろうか?

夢の無い事を言うようだけど

行ってどうなるか
大体の予測がつく場合
行かない方がいいという判断は限りなく正しくなる

人は大逆転を夢見る

確かにその可能性はゼロでは無い

ダメそうでも行ってしまうこともある

でも、本当のところ、どうしたらいいのだろうね

非常に悩ましい

難しいものにチャレンジする時
心は希望の方に向いているよね
上手くいってしまうに違いない、と、何となく

ここをどう見極めるか

今回、やめておこうと思ったけど
ここからは私の個人的な意見を書く
やっぱりこれを書かずには終われない

私は自分の信じた事しか出来ない

人がどんなに反対しても、やる時はやる

でもその代わり、絶対確実と思える事でないとしない

これ、病気の治療法の事を思い浮かべながら書いている

仕事の進め方、進路のことなどもこれ

そう思っていても途中、あまり辛いと
「決断を誤ったか」
と思うことがある

それでも進んでいけるのは
やっぱり内心
「これでいい」と確信が持てるからだ

嫌なものを自ら見に行ってしまうのも
知らない所で勝手に間違った認識が進んでいたら嫌だからだ

と言うことは
行っていいのか

そう言うことなのかもしれない

でも、今回一つ変わった

見るべきものはそんなに多くない

「行っちゃダメー!」と言われてでも行くのは、どうしても行かなきゃいけない時だけでいい