ハングリーにならざるを得なかった事情

気付いてしまった
いや、それを言うなら
「再確認してしまった」だ
前々から気付いてはいたのだから

やっぱり私は心が冷えている
冷え切った心が温まることはないのだ

支えてくれていると深く感じられる人が居ない
本当に心底信じられる人が居ない

いい人に囲まれているのはよく解っているのだけれど、本当に頼っていいという深い実感は得られない

不幸ではないが孤独だ

そうか、そうなんだな…
原体験の大きな喪失感は一生埋まることはないのだ
(電子出版した本「母という呪縛」の中で書いたこと)

でも
だからこそ、湧いてくる力もある
…と信じることにする

人にはそれぞれ、定められた生き方があるのだろうな
大事なのは、自分がそれに気付いて
真っ直ぐ走れるか
出来れば早く気付けた方がいいけど
それもまた人それぞれで…

幸せというものは本当に簡単じゃない
一筋縄ではいかない

成る程…

あ、また哲学してしまう

つい哲学してしまう癖のある人は
幸せじゃない人が多いと聞くけど
それは当たりという気がする
幸せだったら、哲学的に考えたりしないのかも

とは言え、つい哲学してしまう人にとってはこれが何よりの幸せになっちゃってるんだけど

幸せのタイプは違うけど

ただ…
愛が圧倒的に足りてないのは間違いなさそう
(泣き笑い)

でもね!

私はやっぱり、幸せです。

自分の道を見付けたからです。

満たされている人の多い世の中では
ハングリーな人って嫌われがちですけど
私は大好きだし(お仲間だし)
私自身がハングリーを止められないから


昨日、TVで
踊りたいという強い願いを優先させるために、病気で失ってしまう膝の機能を残すために足首の屈伸の仕組みを膝に活用した人の話を観たのだった

足首の曲げ伸ばし機能を膝に使うということは
スネから先の脚を太ももに通常とは逆向きで接続させるという、驚くべき形成技術の上に、更に辛いリハビリが必要になることです。
色々な心の葛藤が起きることは間違いありません。

あの人にとって生きることは
踊ることだった

その強い願いが奇跡的な力を生んだ

膝としての機能を果たすためのリハビリにも耐え、見事踊れるまでになったのだ!

私はああいう話にとても心打たれてしまうのだけど
(というか、号泣してしまうのだけど)
そういう場面を見る度に
やっぱり本人の強い願いは
その人を生かすのだと確信を強めていく

強い目標がその人を生かす

奇跡と呼ばれるような偉業も成し遂げる

…かつて私が死にぞこなっていた時にも同じだったから、よくわかる

あの時、あんな酷かった時
寝たきりでホラー映画のゾンビの様だったのです

いや、映画のゾンビのほうがキレイだと思った
荒れ果てたアパートの一室に一人で
床にタオルを敷いて その上に横たわっていた
布団に寝るととめどなく出続ける滲出液(火傷などの時に皮膚から滲み出る体液、血液とは違う)で直ぐに布団が駄目になってしまうから

絶対に成功するから
死なないでがんばれ

って私は私に言った

それからも長い長い闘いだった
それをたった一つの想いで乗り越えてきた

こんな私に
我武者羅にハングリーに生きるのをやめろとは誰にも言えないだろう
(いや、実際にはいるかも知れないけど)

言われたからってやめられるものでもないし

でも同時に思ったのは

そんな過酷な人生を背負ってきていない人は
別にハングリーになんて生きなくていいのだ

本人が幸せなら、それがその人にとって合った生き方なのだから

人それぞれで物凄く違うのです

背負ったものも、幸せの形も
生き方も

大事なのは
本人が心底納得出来ることです