破滅のない時代の生き方

 昨日、人と話しているとき、「今の破滅ってなんだろう?」という話題が出た。
 少し前であれば、「自己破産」とか「生活保護」というのがたぶんそれに該当した。しかし、現在では自己破産は別に破滅というほどのことではない。生活保護に至っては「勝ち組」扱いされかねない勢いである。
 昔は「破滅しないようにがんばらねば」という話が成立した。しかし、自己破産も生活保護も珍しくないし大したことではないと言うのであれば、いったい何を持って「ひどい目」というのがよくわからなくなってしまった。強いて言うのであれば「死亡」がそれに該当するのだろうが、死ぬということはやり直しがきかない。
 つまり、「ひどい目にあってやり直す」ということは、現在では難しくなっているということである。

 これを「いいことだ」と見るか、「悪いことだ」と見るかは人それぞれだろう。
 はっきりしていることは「ひどい目にあえば、懲りてもうしなくなるだろう」という手はもう使えないということである。
 「死ぬ気になれば何でもできる」というのは本当だが、実際に人はなかなか死ぬ気にはなれない。だから「死ぬような目にあった人は強い」と言われてきた。しかし、「死ぬほどつらい目」が今、存在しない以上、なかなかそういう底力は出しにくくなっている。

 ゆとり世代をバカにする気はない。ゆとり世代には私たち第二次ベビーブームにはない「優しさ」や「心のゆとり」(まさにゆとり!)がある。それはそれで素晴らしいことだ。
 だけど、「がんばる」ということも時には必要だ。
 しかし、「がんばる」にはモチベーションが必要である。モチベーションは人によって様々であるが、「ルサンチマン」だったり「向上心」だったりする。その中に「あの時のような目には遭いたくない」というのももちろん含まれる。そのモチベーション自体失われてしまえば、「がんばる」ことはなかなか難しいのかもしれない。

 「がんばる」というのは「ゆとり」の対極にある。だからあの頃、高度経済成長でがんばりすぎた日本に「ゆとり」が大事だといわれたのだろう。
 しかし、それは充分もう効果を発揮した。
 今更また「死ぬほどがんばっていたあの時代に戻れ」とはあまり思わないが、「がんばることも楽しいもんだよ」と教えてあげたい今日この頃なのである。

(2011年11月26日記)

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