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ショートショート『12バイトのメッセージ』

ピアノが響く。園児たちが歌う。軽やかなメロディが繰り返される。

「Title:今までありがとう。」
何かを予感させるのに十分で、ありきたりのタイトル。
宇宙船が通信を絶ってから10年が過ぎていたが、それは八木友美が受け取った初めての便りだった。

不思議と落ち着いた気分だった。声をあげたり泣きわめいたりする代わりに、友美は目を閉じて、出会った日のことを思い出していた。

よく晴れた夏の午後。 友美は照りつける日差しに顔をしかめながら、大学のキャンパスを歩いていた。ハイヒールのコツコツというリズムに合わせて、長い黒髪がふわりと揺れる。
ちょうど正門を抜けようとしたあたりで、ふと暑さが和らいだ気がした。地面には大きな人影が伸びていて、振り返ると滝のような汗をかいた大男がいた。

八木敬太は友美を見つめて、何かを言いたそうな顔をしていた。友美はその風貌に気圧されることもなく、屹然とした態度で睨み返す。
燃えるような太陽が、二人の横顔をじりじりと焼いた。しびれを切らした友美は立ち去ろうとして、その時ようやく敬太が口を開いた。

「あの、前から話してみたくて…」

癪に触った。こんな暑い日に、暑い場所で、暑苦しい男にナンパされるなんて。夏にバカにされたみたいだ。
モゴモゴと二の句を継げない敬太を遮って、友美はぴしゃりと言い放った。

「なんの用事?」

友美が落ち着いていたのは、敬太の生存を確信していたからだ。地球では既に殉職者だったが、あんなに頑丈で、諦めの悪い男は簡単に死ねない。友美は心からそう信じていた。

「今までありがとう」だって?馬鹿みたい。らしくない。なんて陳腐な表現。
友美は豊かな黒髪をかきあげ、罵りの言葉を吐いた。タイトルからして、中身を読む気にはなれなかった。メッセージをためらいもなく削除すると、友美はたった一行の返信をした。

「なんの用事?」

何光年も離れた最果ての世界で、銀色の宇宙船が音もなく浮かんでいる。中には大柄の男が一人。静かに最期の時を待っていた。

事故から既に20年が経過していた。伸び散らかした髪には途中から白髪が混じっている。船内の食料はとうに底をついて、いかつい装置でかろうじて命だけを繋いでいた。でもそれも、そろそろおしまい。

期せずして手元のランプが光った。信号を受信した合図だ。20年ぶりの出来事に、八木敬太はわずかな余力でそのメッセージを開こうとする。しかし差出人の名前を見て、思いとどまった。

内容に予想はつく。敬太が20年前に送った、別れの挨拶への返事だろう。あの時も最期を覚悟していたけれど、こうしてなんとか生き延びてきた。

敬太の中に生きる友美は、いつだって凛々しく、激しく、揺るがなかった。どんな困難にも弱音をはかず、真正面から立ち向かった。そういう強さに憧れていたし、友美には最後までそうあって欲しい。心配をしたり、悲しんだり、そういう姿は見たくなかった。だから、このメッセージを開くわけにはいかない。

届いたメッセージを削除して、代わりに一行の返信を書く。敬太は口元をほころばせニヤリと笑った。最期くらい、からかう側に立つのもいいだろう。

送信ボタンを押し、椅子にもたれかかって、ふうと深い息をついた。永い眠りの始まりだった。無重力の世界で、白い毛髪がふわりと宙に舞った。

真っ暗な宇宙空間を、超高速の通信が駆け抜ける。ベガとアルタイルを渡るみたいに、その光信号はこれから10年の月日をかけて地球へと旅をする。

「なんの用事?」

というわずか12バイトのテキストデータをのせて。

「これでおしまい?」
「続きはどうなったの?」
園児たちは口を尖らせる。

「この歌に終わりはないの。ずっと同じ歌詞の繰り返し」
腕まくりをした先生がピアノの前で姿勢をただす。

「さあ、もう一度」
跳ねるような伴奏が始まり、園児たちは一斉に歌い出した。

白やぎさんから お手紙 ついた
黒やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なあに

黒やぎさんから お手紙 ついた
白やぎさんたら 読まずに 食べた
しかたがないので お手紙かいた
さっきの 手紙の ご用事 なあに

まどみちお『やぎさんゆうびん』より

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