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選ばれなかった僕らが描く虹は何色か? 18年後のthe pillows

図工で水彩画を描くときに、筆をシャバシャバ洗うバケツがあった。あれには「筆洗(ひっせん)」という名前があるらしい。パレットに鮮やかな絵の具が重ねられていくのとは対照的に、筆洗はどんどん変色していく。ときにはエメラルドみたいに、ときにはドブの色みたいに。描き進めるうちに混沌を極めていく、色のゴミ箱。
僕のちっぽけな中学時代を色に例えるなら、それは筆洗のようだったと思う。

団体行動が苦手で、つまりは学校が嫌いだった。授業を受けるのも、体育で行進するのも、合唱を歌うのも、耐え難い仕打ちだった。入学式で、我が校では全員が部活に所属していますと校長が高らかに宣言した瞬間に、目眩で倒れるかと思った。
そうして理由もなくサッカー部に入った僕は、準備運動の掛け声が小さいと先輩に怒鳴られた次の日に退部を申し出た。顧問は困った顔をして、「所属率100%」の伝統を守るべく、様々な部活への転部を提案してきた。
しかし僕はそれを固辞した。馴染める部活など存在しなかった。数週間に及ぶ交渉の末、ついに顧問も校長も面倒になったようで、僕の退部をしぶしぶ認めた。こうして我が校の伝統は破られることになった。

全校生徒400人の中で、僕だけが終わりのチャイムと同時に学校をあとにする。部室に向かう生徒たちを早足で追い抜かし、白球を追いかける野球部を横目に、グラウンドを横切って裏門から出ていく。人っ子一人いない田んぼ道には、遠くから吹奏楽部のトランペットが聞こえてくるばかりだ。

そんな僕を待ち受けていたのは自由からの開放感ではなく、圧倒的な無力感だった。田舎の中学生にとって、小さな校舎は世界の全てだ。そしてその校舎は部活を中心に回っていた。誰もがそこに居場所を見つけて日々を彩っている。そういう当たり前さえ守れなかった自分は、世界の落伍者だと思い込んだ。太いレールから脱線して、灰色の沼にゆっくりと沈んでいく気持ちだった。

とある日の放課後、僕は気づいたら電車に乗っていた。地元駅から片道一時間半、到着したのは大阪駅。一人でこの都会に来たのは初めてだったが、特にすることもなくて、マックシェイクをちびちびとすする。

日の沈もうとする頃、アイデアがひらめいた。CDを買おう。地元では売ってない音楽がここにはあるはずだ。CDショップに入って、真っ先に手に取ったジャケットには、「the pillows デビュー12周年 ベストアルバム」と書かれていた。
the pillows。ピロウズと読むのだろうか。僕と同じくらいの年を歩んできた、名前も聞いたことがないバンド。そんなところが気に入った。ベージュ色のCDの入った黄色いレジ袋は、夕日に照らされてキラキラと光った。



肌寒い風に秋を感じる。横浜アリーナに到着すると、黒山の人だかりが待ち構えていた。誰もがピロウズのTシャツを着て、マスコットグッズをカバンにつけている。それはかつて同期のミスチルやスピッツと比較され、「永遠のブレイク寸前」などと呼ばれたバンドのライブ前とは思えなかった。
僕は「30th Anniversary 2019」と書かれたチケットを握りしめて、開演前の行列に並んだ。



大阪駅から夜遅く帰宅した僕は、怒られる前に自室に直行してアルバムを開いた。
一曲目は「Fool on the planet」というアルバム名を冠したタイトルで、まず「アウイェ!」という独特の叫び声から始まった。oh yeah!ではなく、アウイェ!である。それからも度々アウイェ!があって、試しに数えてみたら8回叫んでいた。このあと何回までいくだろう。かすかな不安を覚えながら2曲目を再生し始めたとき、衝撃が走った。

誰の記憶にも残らない程
鮮やかに消えてしまうのも悪くない
孤独を理解し始めてる
僕らにふさわしい道を選びたい

「Swanky Street」作詞・作曲 山中さわお

僕だ、と思った。これは僕なんだ。居場所のない14歳の僕に、この「Swanky Street」という曲がぶっ刺さった。田舎の中学生が腕を組んで、歌詞の節々にウンウンわかるよ、とわかったように頷いた。そんな風に音楽に自分を投影した経験はなかった。

そこからはもう夢中になった。「I think I can」を聞いては僕だ、と思い、「One Life」を聞いては僕だ、と思い、「ストレンジカメレオン」に至っては僕が作ったのかな?と思った。

たとえ世界がデタラメで タネも仕掛けもあって
生まれたままの色じゃ もうダメだって気づいても
逆立ちしても変わらない 滅びる覚悟はできてるのさ
僕はStrange Chameleon

「ストレンジカメレオン」作詞・作曲 山中さわお

ピロウズを聞いていると、言葉にできないもどかしさを表現してくれるような快感があった。居場所のない、選ばれなかった僕らの代弁者。それがピロウズの魅力だった。
結局、このアルバムでは計30回アウイェと叫んでいた。僕はそのタイミングを暗記するまで聞き返し、窓から空に向かって、アウイェ!と叫んだ。その度に雲が晴れ、夜空に深いブルーが広がっていく気がした。



バンドが登場した瞬間に、全員が総立ちになって歓声をあげた。この地鳴りのような迫力は、これまで行ったピロウズのライブの中でも初めてだった。
最初の曲は「この世の果てまで」。この曲には中盤に「あれ」があって、もちろん僕はそのタイミングを熟知している。
ほどなくしてピロウズが、アウイェ!と叫んだ。僕はアウイェ!と叫び返しながら、一回、と心の中でカウントした。



学校は相変わらず苦痛で、授業中はこっそりピロウズを聞いた。その素晴らしさを誰かに伝えたかったけど、自分から話題を持ち出すほどの社交性はなかった。適当に相槌を打っているうちに休み時間は終わり、ピロウズを聞いていたら授業も終わり、そのまま一人で帰宅した。

ふと、このままいくとどうなるのだろうと思った。全員が当たり前にやっていることが自分にはできなくて、そういうことが今後もたくさん待ち受けているのだろうか。焦燥感が襲ってきた。何かに取り組んでいないと、不安で押しつぶされそうだった。

試しに勉強を頑張ってみた。成績が少し上がったが、それだけ。近所の空手道場に通ってみた。帯の色が少し上がったが、それだけ。何を始めても夢中になれなくて、数ヶ月もしたらすぐに放り投げてしまうのだった。

そんなとき、一つだけ毎日続けていることを思い出した。日記を書くことだ。
昔から人と話すのは苦手だったが、文章を書くのは苦ではなかった。世界一安直な僕は、これしかない、と一瞬のうちに決意を固めた。僕は文章で生きていくのだ。

それから毎日、とにかく何かを書きまくった。それは日記だったり、国語の宿題だったり、あるいはネット掲示板だったりした。小説のコンクールにも応募してみたが、賞には全くかすらなかった。それでも良い。何かに打ち込んていることが、自分が前へ進めている証拠だと思えた。灰色の沼から抜け出して、足跡のない真っ白な雪原が目前に広がっている気がした。

I think I can
I think I can
I think I can

「I think I can」作詞・作曲 山中さわお



横浜アリーナが加熱していく。一万人のアウイェ!が、波となってスタジアムにうねる。

「俺たち、売れちゃうんじゃねえか」

その盛り上がりに、ボーカルのさわおさんが自虐的な冗談をこぼした。会場が笑いに包まれる。30年間続いたバンドが、その集大成を見せようとしていた。



机に押し付けられて、シャーペンの芯がぽきっと折れた。人差し指に少し力を入れただけで、それはいとも容易に、何度でも折れてしまった。

毎日続けていた日記は、一年半経った頃にピタリと止まった。日記だけでなくて、何かを書くのがもう億劫になっていた。これが自分の道だと確信したはずなのに、なんて足場の脆い道だったんだろう。
結果が出ないことが悲しいのではない。結果が出ないくらいで、簡単に手放す程度のものだったことが悲しかった。

キミの夢が叶うのは
誰かのおかげじゃないぜ
風の強い日を選んで
走ってきた

「Funny Bunny」作詞・作曲 山中さわお

それでも、ピロウズに共感する資格くらいは欲しかった。風の強い日を選んできたのだと、誇りたかった。その小さなプライドを守るために、最後にもう一度だけ机に向かうことにした。

作文コンクールが、翌月に控えていた。僕はそれに全ての夜を捧げた。手の平が、シャーペンの粉で黒くすすけていった。



ヒートアップする横浜アリーナで、突然演奏が止まった。それは僕が初めて魅了された曲、「Swanky Street」に差し掛かったときだった。どうやら、歌い出しのタイミングを間違えたようだ。

「やっぱり、こんな場所でやるようなバンドじゃねえんだよ」

さわおさんはそう笑った。張り詰めていた会場の緊張感がふっと緩んで、いつもの空気に戻った気がした。

そうして終盤に差し掛かった頃、ピロウズがこう呼びかける。

「Can you feel?」



「規定違反。」

返却された原稿用紙には、その大きな4文字が真っ赤なバッテンと共に記されていた。
作文コンクールの応募規定は原稿用紙5枚までで、僕は何故だかわからないけど18枚書いた。勢いあまり過ぎた。国語教師はフンと鼻を鳴らして、原稿用紙の束を僕に投げつけるように渡した。毎晩夜なべをして書きあげた大作は、誰にも読まれずに返ってきた。

起立の号令で、授業が再開する。何千回も繰り返されてきた、吐き気を覚える光景。だけど僕は不思議と落ち着いた気分で、ゆっくりと教室を見渡した。背筋を伸ばして前を向く女子に、眠そうに欠伸をする男子。はしゃぐヤンキーと、それをたしなめる教師。みんなの毎日は、一体どんな色をしているのだろうか。

こっそりとCDプレーヤーを起動して、いつものアルバムの、最後の曲を選択する。それは「ハイブリッド レインボウ」というタイトルだ。

目を閉じてつまみを回し、ゆっくりと音量を上げる。教室の雑音が遠ざかっていく。ピロウズがこう呼びかける。

「Can you feel?」


◇◆◇




Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
ここは途中なんだって信じたい

I can feel
I can feel that hybrid rainbow
昨日まで選ばれなかった僕らでも
明日を持ってる

「ハイブリッド レインボウ」作詞・作曲 山中さわお



日記:2019年10月17日

ピロウズの30周年ライブに行った。あっという間だった。そう言えば昔アウイェ!の回数を記録していたなと思って、試しにライブ中に数えてみた。63アウイェ!だった。あのアルバムの2倍の数だ。声が枯れた。

今日イチだったのは、やっぱりハイブリッド レインボウ。直訳すると、混成の虹。今まで絵本のような美しい虹色をイメージしていたけど、今日の演奏を聞いてそうじゃないと思った。綺麗な七色もあれば、もっと薄暗い色も、ゲロみたいな色も、そういうのがごちゃ混ぜになったものが「ハイブリッド」レインボウなのかも。

そう、それはまるで筆洗だ。目の前に広がった灰色の沼に、白い雪原。ベージュのCDとキラキラ光る黄色いレジ袋、シャーペンの粉で汚れた黒い右手。原稿用紙に記された真っ赤なバッテンに、アウイェ!と叫ぶ度に広がる深いブルー。それらの色が全部捨てられた、ドロドロに濁った筆洗だ。

僕らは筆が折れないよう慎重に筆洗へ浸して、大きくていびつな虹を空に描く。そのアーチをめがけて、明日をまた過ごしていけるんだ。


※この文章は、LINE MUSIC×note の「 #いまから推しのアーティスト語らせて 」コンテストの参考作品として書いたものです。 #PR

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