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桜ってなんで思うように撮れないんだろう。

桜花爛漫ですね。街を歩いているとあちこちに咲く桜。

写真を撮ることを趣味にしてすでに十四五年が経ちました。もちろん桜もたくさん撮ったさ。しかし、これがまた、見たように、感じたように撮れないのだ。なぜだろう、なぜかしら。撮ったときは確かな手応えを感じていても、家に帰って見てみるとがっくし。いろいろやってみました。寄り、引き、斜俯瞰、朝、昼、夜、雨など。桜を探してあちこち行ったこともあります。けれど全部ダメ。

だからもう桜はいいや。諦めました。思うように撮れないなら見て感じて楽しもう。だって日本人の原風景だもの。

不思議なことにそう思うと「あっ、そうか」と新しい気付きがあるんですね。手に入れたければそれを欲しがるなってことですか。

つまり自分は今まで桜を撮りたいがためにさくらさくらとなっていたんです。つまり被写体のことしか考えずに、その被写体と自分や周りとの関係性を忘れていました。桜は単体にして桜にあらず。街の中、土手、桜並木、全てはそこにいる人と社会の関係性が綾なして桜は成立しているんではなかろうか。

人のいない森で木が倒れても音はしない。

この関係性ってやつ、大切かなって思ってます。

モノを買う時、多分、多くの人は自分と関係性の深い(と、感じている)ところから買うんじゃないかな。お客さんを紹介しますよから、最近流行りのリファラル採用まで。ではどうやってその関係性をつくるんでしょう。一つは個を出していくことだと捉えています。組織の透明化が進み、個を出さないことが良しとされる組織から、組織を構成する一人ひとりが個を発揮して仕事を進めていくことが、その組織のエクイティを高めるようになってきました。

みなさんはどう思いますか?

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