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20171101 トロントまでの道のり

ウィンザーのサブウェイで腹ごなしを済ませると街を抜ける。もう走る景色はすっかり田舎道だ。
車はよく通るものの起伏もない今は何も植わっていないか収穫後の枯れたトウモロコシが立っている畑の間を寒くて凍えながら、ある程度目処をつけていた野宿スポットを目指す。
今日は、ハロウィンの当日なので子どもたちが各家を回りながらトリック・オア・トリートと言っているのを何度か見た。

暗くなってきたので野宿先を探す。最初の候補地だったの頃は看板にテントはだめだと親切にイラスト付きで教えてくれていたので泣く泣く先に進んだ所にある場所で野宿をする事にした。

そこは湖の辺りなのだが公園の入り口には公衆トイレも設置されているし、奥に行けば森になっていてベストな野宿スポットだった。
私は湖の浜辺にテントを貼り、今夜は木が豊富にあったのでウッドストーブで焚き火をして今夜の夕食のチキンライスのパウチを温めた。

辺りは人も通らないので安心して熟睡することができたのは久しぶりだ。
気温もさほど低くならなかったようで、デトロイトを出てからのスタートは良いのかもしれない。

この日は午後から雨になるという予報で少しでも先を急いでいた私はカナダの田舎町をひたすら走る。
やはりチェックインの日時を決めてしまったのは気持ちに余裕が出てこない。そして少し走れる距離の計算を間違えたかもしれない。
それでもぎりぎり間に合うことを信じてひたすら走る。
途中で今夜の野宿の食料を買った以外は本当によく走った。
ブラウニー的なのを期待して買ったら、板パンだったのは少し誤算だったが、それもカナダ産の蜂蜜をつけて食べれば問題はない。

ひたすら走り、道路の脇にあっただだっ広い広場のような所で夜を過ごした。
今日は、百キロも走ったのでトマトと牛肉のスープの缶詰を温めた。

このときに気がついたが、ウッドストーブの部品を前回の場所に置いてきてしまったらしい。どこを探しても見つからない。
刺し子状の金属の板二枚だが、それでアルコールストーブの五徳代わりに使っていたのでなかなか不便になってしまった。

翌朝になり、今日も百キロ以上走らなければ確実にトロントのゲストハウスのチェックインまでに間に合わない。
しかし、予報通り雨に振られてしまっている。ただ、幸運なことに少し霧雨程度にぱらついているだけで走れなくはなさそうだ。
靴下にビニール袋を履いてからハイテクサンダルを履く。マフラーで口元を覆い、この手の天気はいつ何時に激しい雨に振られるか分かわからないので、しっかりと防雨対策をする。

グーグルマップの言ったとおりに走ること三時間は経過しただろうか、丁度お昼時だったので足を止めて昨日買ったパンの残りに蜂蜜をかけたものを二枚だけ食べる。食事の時間が勿体無いと感じるほどに時間がギリギリの状態だ。

あとどの位走るのだろうと思い、スマートフォンを覗くと、ふと違和感に気づく。
見事にルートとは逆走をしており、十キロ程のロスが発生してしまった。
ここで私の運のなさは尽きたと思っていたが更に悪いことは続く。
昼飯の休憩すら惜しんで走り、今日の宿であるモーテルまで残り四十キロといったところだっただろうか。
そのときは下り坂を勢い良く降りていき、このまま真っ直ぐ行けば町につく。暖かいシャワーとベッドがある。などと気持ちが浮足立っていた。
すると突然に後輪から怪音が鳴り、勢い良く空気が抜ける音がし始めた。
最初は今までに聞いたことがない音だったので何なのかわからなかったが、やはりパンクだ。
生憎なことに、後輪のタイヤの空気圧が減っていく状態だったので交換し、デトロイト滞在中の段階で予備のチューブは使い切ってしまっていた。
リペア用のツールもこっちで買う予定ではあったがなかなかは暇も取れず買い損ねている。
ここで残された選択肢は残り四十キロをひたすら押して歩くしかなかったのだ。

自転車で走れば残り三時間、いや頑張れば二時間出いける距離だったのがパンクをしてしまう事によって、総重量三十キロの荷物を押しながら四時間も歩かなくてはならなくなってしまった。

更にここは歩道すらない対面一車線の道路をなかなかの速さで車が走っていく、いわば国道みたいなものだ。
これまでのアメリカ自転車旅行で覚えた教訓として、自分から動かないやつには容赦なくチャンスが過ぎていくという事と、英語ができないやつには助けが呼べないということだ。
即ち、ヒッチハイクなどをして助けを待つという選択肢は私には持っていない。寒さで凍えながら、自分に対して悲観しながら、ひたすらに自転車を押して歩くことしかできないのだ。

奇跡的にダムの近くで釣りをしていたおじいさんが居て、自転車屋が無いか聞いてみたが助けになれそうにないという雰囲気でノーと言われた。

それも昔に思えるほどの寒さの中で二時間位歩いただろうか。残り半分というところで奇跡が起きたのだった。
それはある意味私の一ヶ月も早いクリスマスプレゼントとも言えるくらいに心から感謝したし、何よりも嬉しかったのだ。

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