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20171018.19 初アメリカ。シカゴ到着編

午前八時四十二分。北京国際空港で乗り継ぎでのシカゴ行きのチェックインを待っている


ここまで来るのにすごく時間がかかったような気がするが、まだ初日も初日、旅が始まってすら居ないのだった。しかし、大変にくたびれた。

そして、今思えばこの旅は大変なことが起きそうな予感がしていたのは、成田空港行きの電車の中だった。


前日から風邪をひいてしまい、汗だくで三十キロの自転車と荷物が詰まった輪行袋を最寄りの地下鉄駅にまで引っ張り込むのに一時間もかかった。

普段は歩いて十分程度の距離だが、カラカラの体力では休憩しながら歩を進めることしか出来なかったのだ。


もちろん予定はズレにズレ、東京駅で乗るはずだったターミナル行きのバスも間に合わず。

見送りに来てくれた友人二人に手伝ってもらいながら大きな荷物で電車に乗り込み、難を逃れた。

直通にも乗れたので安心していた。


しかし、私は大きなミスを最初からしてしまっていたのだ。


それは成田空港第一ターミナルに到着する寸前。

混雑していた車内から人が居なくなり座れるようになった。狭い車内では大きな輪行バッグは邪魔だろうと至極申し訳ないと思いながら立っていたので緊張しっぱなしだった。ようやく緊張の糸が緩み、ふと、今後の予定を確認しようと思いスマートフォンにダウンロードしておいた航空便を眺めていたときだ。

「HANEDA AIR PORT 2:00発」

あ……れ?

ハネダエアポート?

私は状況を十秒ほど送れて理解し、顔は青ざめ、周りの音がフェードアウトしていった。


そういえばこう言う様な事が、人生で何回か有った。

仕事の研修場所へ行くのに道に迷ってしまい開始時間が過ぎたので帰ってきたこと。

好きな人とのデートで駅で待ち合わせしたのに、一時間も道に迷ってしまい留守電で謝ったこと。

派遣の仕事で空港に行くのに乗り遅れてしまい電話で謝り、次の便で向かった事。


間違いというのはよくあるが、人生で今日だけは間違いを侵したくなかった。


そんな事が走馬燈のように頭を巡りながら、悲しい感情よりも悔しい思いが込み上げてきて、絶対に行ってやるという気合が入る。これはもはや自分に対しての怒りだ。


とにかく、グーグルマップによると電車はもう翌日の始発しかない。

車ならば二時間くらいで着く。だったら選択肢は一つ。

私はタクシー乗り場で輪行袋を詰め込んでもらい、羽田空港へ向かったのだった。


運ちゃんがスピードを飛ばしてくれたお陰で十一時に成田にいたはずが十二時前に羽田に着いていた。料金は三万円。正直に言うと痛い出費だが今回は仕方が無い。

運ちゃんの話によると一日一回は空港間違えをする人は居るらしい。私は偶々高速が空いている時間だったから四十分間で着いたが、早朝便だったりすると高速が混んでいて二時間以上かかるらしい。それを聞くと運が悪い中でも良い方なのか。


空港に入ってしまえば、カートに重たい輪行袋も乗っけられるし、チェックインしてしまえば現地までオサラバだ。

大きさと重さでオーバー分の一万五千円を支払ったのもタクシー代よりも安いと思ったくらいだ。

もはや金銭感覚が軽く麻痺した私に怖いものは無い。


チェックインを済ませた後は日本での食事納めとしてモスバーガーで野菜バーガーとオレンジジュースを食べる。どうでもいいが本当は吉野家が良かったが混んでたのでやめた。


そうして乗り込んだ北京行きの飛行機。

海南航空というググってもあまりレビューが出てこない航空会社だったので心配したが特に国内線と変わらない。

むしろ札幌行きのLCCの方が機体が薄いのかよく揺れていた気がする。

さらに、五時間のフライトだったのだが機内食は要るかと聞かれた。お腹も空いてなかったので、いらないと答えてしまったが後から興味本位で食べておくべきだったと少しだけ後悔した。

よく考えると、羽田から出ている位なのでそれなりに大きい航空会社なのだろう。


そんな事もありながら体調も悪かったので暫くは寝て過ごしていたわけだが、少しだけ回復してきたようだ。


到着してから最初に見つけた乗り継ぎゲート近くのベンチに三時間くらい座って待っていると、現地の警官がセグウェイに乗って現れた。

パスポート見せろ。北京に滞在か?などと言うのは聞きとれたので、私はパスポートを渡し、乗り継ぎの便を待っているとアタフタしながら何とか伝える。

コピーしてきた航空案内の紙を渡すと理解してくれたようで、ここじゃないから真っ直ぐ行ったゲートに行けと言われた。

私はお礼を行って、真っ直ぐ進み、先とは別の乗り継ぎゲートへの案内を頼りに行くと、入国ゲートがあった。どうやら一度入国しないと行けないらしい。初めての海外の上に初めての乗り継ぎ、初めての空港だったので何もかも分からない。

兎にも角にも、受付にパスポートを見せて入国許可スタンプを押してもらい進んでいくと、乗り継ぎゲートがあった、あった。

ハロー、アイゴートゥーシカゴ、トランスポート

という、英単語とパスポートとチケットを見せる。

hmm...ナンタラカンタラUp flor.との返事がきた。

どうやら二階らしい。今いるフロアは預け荷物受取場で上に上がる階段もエレベーターもないのだが……と思いながら取り敢えずウロウロしながら、空港関係者らしき人にウェアー ゲート トゥーと訪ねていくと、どうやら一度出口を通らなければ二階に行けないことがわかる。


またも手荷物をコンベアーに乗せてセキュリティを通してから進んでいくと、ようやく私が乗る便のナンバーが見つかった。


見つかった事で安心して、まだ時間もあったのでフロアを少し散策してみると、お土産屋、各航空会社のVIPラウンジ、飲食店があり、無印良品とファミマもあった。

ここで機内食を食べなかったのでお腹が空いていたのだが、カードが使えるのか、ドルは使えるのか分からなかったので腹ペコのままチェックインカウンターが開くのを待つことになった。


なんとなく思ったのは中国人はせっかちであると、たった半日程度の観察でしかないが感じた。

チェックインカウンターが開く一時間前には既に列が作られていたり、機内食を食べるのが早い。

早ければ早いほど自分の番が回ってくる。という考えで行動しているように見受けられる。


そうこうしている間にカウンターにたどり着き、無愛想だが美人な中国姉さんに私が拙い英語だったので「ああ、外国人さんね」的な態度でチェックインを済ませられた。


出国手続きになりパスポートの提示をして、また荷物の再チェックになったのだが、ここで問題が発生。

お姉さんが荷物を開けろと言うので、私は荷物を開けて何となくチェックを受けるであろうと思っていたコルグのシーケンサーを出した。

それでまたチェックをかけたのだが、今度は持ってきていた一番でかいバッテリーが問題らしい。

もう一度チェックをかけた後に、ちょっと着いてこいと言われ別のカウンターに向かい、何故かも良くわからぬままにパスポートとバッテリーを没収されたまま三十分後に来いと言われた。

現金、というか中華元がないのでジュースも買えず(おそらくカードは使えただろうが)疲れてショップを物色する余裕も無かったので、トイレかその近くの水飲み場かベンチに座って暇を潰していた。

北京に着いてから何度となく事前に買っておいた海外SIMカードで接続を試みたのだがどうにもうまく行かず放置を決めていた。

空港のWi-Fiもあるにはあるのだが国外用のショートメッセージ番号を持っていなかったので利用登録が出来ずでお手上げ状態が続いていた。


うつらうつらしていたらいつの間にか時間になったようで、さっきの場所に戻るとすんなりとパスポートとバッテリーが返ってきた。一体何だったのか。


これでようやく北京を飛び立ち、シカゴへ十三時間のフライトとなる。


やはり大きな航空会社らしく前方ビジネスクラス、後方三列シートが三列の大きなジェット機だ。お客さんも九割は入ってるだろうか。

機内食はこんな感じ



ディナーは辛いソースが絡まったチキン、ちゃんとした米、瓜の炒め物。デザートもサラダもパンも付いてくる。まあまあ美味しい。








朝食はミートスパゲティ。カレーっぽい味の何か野菜のサイコロとエビのサラダにフルーツも付いてくる。

中華航空会社の機内という想像のものよりも美味しいものだったし、アメニティも耳栓、アイマスク、靴下、イヤホン、歯ブラシまで貰えて、ブランケットも大きくていい。何よりも一席ずつタッチパネル式のモニターがあって、中国などでリリースされたポップソングが聴けたり、ドラマや映画が観れる。しかしながら中国語字幕と英語字幕しかないので半分程度しかリスニングできない私には少し酷だったが、Atlantaというその名の通りアトランタを舞台にトラップのラッパーとそのマネージャーを主人公にした日常のドラマがなかなか面白くてずっと観ていた。


そんな感じで意外と快適な空の旅を過ごしながらシカゴに到着して、入国手続きもすんなりと済ませ、大きな身体をした黒人のセキュリティに輪行バッグを指して「何これ」と言われて「自転車」と答えると「何に使うん?」「これでシカゴからニューヨーク経由でマイアミ行きますねん」「あぁ、レースかなんか?」「せやねん」という会話があった。

意外と北京のほうがセキュリティ厳しかったな……なんて思いも残しつつ無事にシカゴに降り立ち、さっそく空港の入り口で自転車のセッティングした。





セッティングを終えてあまりにも空腹だったのでチョコバーとレモネードを購入するも謎にチョコバーが六ドルもしたという事、

空港から道路をずっと沿っていくとハイウェイに乗りかけた事など、

初っ端からアメリカンな洗礼を受ける。


そして何よりも、空港からホテルまでの道が想像よりも遠く、今まで日本の感覚で見ていた地図の縮尺と違っていたのだ。


まだ完璧じゃないセッティングの自転車とインターネットが繋がらずルート検索が出来ないスマホで何とかホテルにチェックインしたのが午後六時。予定よりも三時間もオーバーした。


クソみたいな英語で何とか無事にチェックインも済ませ、沢山の荷物を背負って部屋に行くと(途中で女性に手伝いましょうか?って言われた)イスラム出身の男性がスマホを弄っていたのと、もう一人男性ルームメイトが寝ていた。


私は二段ベッドの上で荷物整理している時に気がついた。このベッド……すっごい揺れる。

細い鉄の四足だけで支えていて寝返りを打つだけで起きてしまうだろう。





荷物も整理したので近くのフードマートに行き適当にチーズハムサンドとレモネード、喉の痛み用に蜂蜜を購入してホステルに戻って食べた。



後は今日は想像以上に空港からホテルまでの道のりが辛かったし、ベッドでゆっくりしてよう……と思っていたのだが、ルームメイトの二人から飲みに誘われてしまった。

私は一応、まだ現金をドル両替していないから持ち合わせが無いよと言って断ったのだが、先程のイスラム出身の彼がデビットカードがあるから大丈夫だ。奢ってやると言ってくれた。タダ酒を断る事ほど悪い事はない。そんな感じで一先ずホステルの隣にあったスポーツバー的な所でハイネケンを御馳走になった。


二人との会話はご想像余通り子供と大人が話している様な感じで、なかなか通じない。指示受けたり、かんたんな会話なら大丈夫だがお互いの事を話すとなると持っている単語の量が追いつかないのだ。なかなか悔しい思いをした。


そんな事もあってか、二軒目に行こうと言う声も一度あったが、結局流れでハイネケンを一杯でお開きとなった。


そんな、初日からてんやわんやの大騒ぎ。私のアメリカンを肌で感じてビリビリになっている精神は少しずつ剥がれ落ちていく事となる

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