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19.03.10(日) 大好きなバンド

昨夜、「まん腹」のライブを見に行った。

逗子から電車を乗り継ぐこと一時間と少し。
水道橋から歩いて5分程度歩いた先にある、「試聴室」がその日の会場だった。

到着したときには既に会場の前に長い列が出来ており、お客さんが少しづつ会場に入っている最中。まだ列は動きそうになかったので、ひとまず、タバコに火をつける。すると、ベースのテツが会場から出てきた。
他愛のない話をしていると、遠くから先輩が歩いてきたので声を掛ける。
かと思うと、列の中から大学時代の友人がこちらに手を振っているのに気が付いた。まるで同窓会のような再会の連続に、つい嬉しさがこみあげる。

3/9(土)、春の兆しを感じる穏やかな一日。
この日で大正琴の病院こと、高須がまん腹を脱退する。
実質、現体制でのライブを見れる最後の機会だった。

EPのレコ初という事もあったが、大半の人が、病院のいるまん腹を見納めようと集まったのだと思う。チケットはあっという間にソールドアウトし、会場は満員御礼状態だった。

思い返せば、初めて僕がまん腹を見たのは確か大学一年の春頃、ウェスタンという名の軽音部の新歓ライブだったと思う。
クラブ棟でフラフラしていると、遠くから奇妙礼太郎のカバーの音色が聞こえ、その音の出処を辿った先にいたのが、まん腹のギターのあきらだった。
僕はその頃、民族楽器サークルに興味があったので、特に意図もなく、見始めたライブだったが、まん腹の演奏が始まった瞬間に「ああ、これは俺が大好きなバンドだ」と、直感で感じ取ったことを今でもよく覚えている。

それから気づけばメンバーとは自然と仲良くなり、当時僕が住んでいたシェアハウスでよく遊ぶようになった。

まん腹との思い出を上げればキリがない。
芸祭直前、真夜中の学校に忍び込み、朝方までTシャツを刷ったり、自分が所属していたバンドの企画ライブに出演してもらったり、逆にまん腹のライブに客演で出演したりもした。
メンバーとは、毎晩のように麻雀をし、サバゲーとか、カラオケとか、ききお茶選手権とか、くだらないこともたくさんした。あきらと国立でギターの練習をしたことも印象深い。
まん腹のメンバーが大学を卒業してからも、誰もいない学生会室のコンポでCDを聞き、ライブがあれば毎回遊びに行っていた。

こうして振り返ると、僕の大学生活の5分の1くらいは、まん腹と共にあったと言っても過言ではないかもしれない。

そんなことを思い浮かべながら感傷に浸っていると、少しづつ会場が暗転し、予定よりちょい押しでライブがスタートした。

ライブの感想を事細かく書くのは野暮になるので割愛する。(というより、開始早々でエモが爆発し、それを誤魔化すために飲酒をしたので、正常に見れていた自信がない。)

だけど、本当にいいライブだった。
「東京生まれ」に思わずほろりとさせられ、かと思いきや客演による謎のシュールコントが始まったり、終始、会場全体に緩やかな一体感があった。そしてなにより、「現体制最後」ということを一ミリも感じさせない、「いつもの」まん腹だった。

そしてライブ後、まん腹のTwitterアカウントで呟かれた「昨日までのことは一旦おしまい。」という一文を読んで、ようやく「あぁ、終わったんだな」ということを理解した。

4年間という短い大学生活の中で、こんなに気持ちを乗せることが出来るバンドに出会えたことはとても幸せなことだから、この先多分ずっと、まん腹の音源を聴く度に色々なことを思い出すと思う。

タイトル写真:荻原楽太郎

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