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Huuuu inc.に入社しました!

バンコクからこんにちは。日向です。
ハンバーガーって美味しいですよね。僕ハンバーガー大好き!

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先日のnoteでお伝えした通り、8月末で新卒で入社した面白法人カヤックを退職し、そして9月からHuuuu inc.に入社しました。

▼Huuuuとは?
「Huuuu」はローカルとインターネットに強いライター・編集者中心のギルド的チームです。コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に日本全国を飛び回っています。

...つまりどういうこと?
ギルド的チームって何?フリーになるの?全国を飛び回ってなにするの??お前ちゃんと働いてるの?税金納めろバカヤロー!

モニター越しから皆さんの心の声が聞こえますが、そこらへんの説明をすると長くなってしまうので、詳しくは弊社代表のnoteとHPを御覧ください。

このエントリーが、私のような他業種から未経験での転職を目指されている方にとって、何か参考になる内容であれば幸いです。

■ターニングポイントを求めて

人生には「ターニングポイント」というものがあるらしい。
遡ること4年前。僕は京都にいた。

当時、大学2年生。「大学生は人生の夏休み」という言葉を地で行くように、それなりの暇を持て余していた僕は、京都でLenという名前のホテルが作られる噂を聞きつけ、ボランティアとして工事の現場を訪れた。ちなみにLenを作っていたBackpackers'Japan(以下BJ)というチームは、実兄とメンバーの仲が良かったこともあり、それなりに顔の知れた関係だった。

現場に着くとすぐにBJのデザイン周りを担当しているイッシーが訪れた。当時、自分の描いたイラストをステッカーにして持ち歩いていたので、挨拶がてらにイッシーに渡すと、それをとても気に入ってくれた。そして、程々に会話をした後、「これ本間君にも渡すよー!」と言って、その場から颯爽と去っていた。

その日の晩は友人の家に泊めさせてもらっていた。ちょうど風呂から上がり、冷蔵庫の缶ビールに手を掛けようとしたその時、携帯に一本の電話がかかってきた。電話先の相手は、BJ代表の本間君だった。

「はい、もしもし。ヒュウガです。」

「ヒュウガおつかれ~!イッシーからステッカー貰ったよ!めっちゃいいじゃん!あのさー、もしよかったらLenに絵描いてくんない?

一瞬時が止まった。
え?絵?どこに?Lenに?誰が?.....俺が?
えええええええーーー!?

あまりにも衝撃的過ぎて、その後どんな会話をしたかはもう定かではない。こうして様々な偶然と縁が重なり、ホテルへの絵を依頼された僕は、すぐさま画材道具を持って、現場に舞い戻ったのだった。

人生で初めて依頼された絵の仕事。緊張と不安が入り混じった中、作業はスタートした。現場では全国から集った最高にカッコいい大工さん達が、図面を見ることなく、まるでジャズセッションのように建物を作り上げていった。

そんな仕事を横目に、僕はせっせと絵を描いていき、ホテル内の至るところに小さなイラストを散りばめていった。まるで夢のような二週間はあっという間に過ぎていった。

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全ての絵が完成した夜、工事もいよいよ終盤に差し掛かり、しっとりとした音楽がフロアに鳴り響く中、僕は一人の大工さんと話していた。

全ての絵を描き切ったことに安堵する一方、この夢のような日々が今日で終わってしまうことへの悲しみから、何故か無性に不安な気持ちになっていた。そんなことを考えているうちに、これから訪れるであろう将来や人生への弱音がポロポロと口からこぼれていった。

その人はそんな僕に対して、なにか答えを諭すわけでもなく、適当に相槌を打つわけでもなく、時折ビールを口にしながら、じっと耳を傾けてくれていた。

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その時は結構酔っていたと思う。気持ちばかりが先行して溢れて、次第に自分が何を言ってるのか分からなくなっていた。そして、ふと会話が途切れ、静寂が訪れた時、その人がこう呟いた。

「ひゅうが、いいか。人生にはターニングポイントってものがある。もしもいつかその時が来たら、全力で掴みにいけよ。」

心にぽっと小さな火が灯った瞬間だった。

僕が好きな田我流の「ゆれる」という曲の一節にこんな歌詞がある。

この心がゆれる時がある
それはバイト帰りのサンセットだったり
本の中に答えを見つけた時だったり
またはステージの上でハイな時だったり
好きな子とまったりな時だったり
たまたまDigした1枚のvinylだったり
感動して頬伝う涙だったり

人生には時々、心が揺れる瞬間が訪れる。それは、ふとした時に突然やってくる。あの日の夜、僕の心は確かに揺れていた。そして、「人生にはターニングポイントってものがある」という言葉を頭に巡らせながら、いつか自分にもそんな時が来たらいいなと思い、京都を後にした。

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■徳谷柿次郎との出会い

なぜHuuuuへの入社を決めたのか。色々な理由はあるけれど、一つ明快な答えがあるとすれば、代表の徳谷柿次郎という男に惚れたからだ

先に書いたLenでの一件から月日は流れ、僕は大学を無事卒業し、面白法人カヤックに新卒として入社した。

カヤックでの日々は毎日が熱量の渦で、「面白法人」という看板のもとに全身全霊を打ち込むクリエイターが沢山集っていた。僕もその熱量に振り落とされないように、日々仕事に打ち込んでいった。

しかし理想の自分はあまりにも遠かった。人生の夏休みの終焉。忙殺の日々。決して自分の能力に自信をもっていたわけではないが、いざ仕事を始めてみると想像以上に自分が使いものにならなかった。

入社前にあれだけ意気揚々と未来について語っていた僕は、理想と現実の乖離に苛まされ、休憩中は大抵会社のトイレに篭り、ネット記事を読み漁るのが日々のルーティンだった。真っ暗闇の中を手探りで進むように、どこかに答えはないか見つけるのに必死の毎日だった。

そんな悶々とした日々を送っていたある日、自分の運命を変える一つの記事に出逢う。

この記事を読んだ瞬間、脳みそになにか衝撃のようなものが走った。なんだろうこの人。めちゃめちゃ面白い。一回話してみたい。会ってみたい。

記事内で語られている当時の年齢が自分に近かったこともあり、きっとその時の自分の鬱屈とした状況を、柿次郎さんの姿に重ねていたのだと思う。

実は僕と柿次郎さんとは、お互いの共通の知人を通して、一度だけ会ったことがあったため、すぐにメッセンジャーで連絡が取れた。(少し話は逸れるが、この時僕に柿さんを紹介してくれた「知人」は、何を隠そうBJのイッシ一である。僕はイッシーに2回人生を変えられている。)

今その文面を改めて読み返してみると、「唐突に何!?」という小っ恥ずかしい内容ではあったものの、柿次郎さんはとても丁寧な返事をくれた。そして諸々のやりとりの最後に「長野に来てくれたら、会えるよ」と送ってくれた。

その一ヶ月後、僕は柿次郎さんに会いに長野へ向かった。

長野では、柿さんはもちろん、今回Huuuuの役員兼編集部長に就任しただんごさんや、コピーライターの日下さん、写真家の慶くんなど、これまた様々な方との運命的な出会いをするのだが、これを書くと永久に話が進まないので今回は割愛する。

そして、この長野での一件を踏まえて、僕は確信した。「いつか絶対にこの人と仕事がしたい」と。ここから柿さんとの関係性を築くために、ありとあらゆることを企てた。

柿さんに誘われれば、彼女との予定をリスケしてでも会いに行った。(ありがたい事に、彼女はそれを許してくれた。)休日はなるべく長野に通い、べらぼーに美味い焼き肉を食べに行ったり、わりかし苦手なカラオケにも行った。そしてとにかく一緒に酒を飲んだ。

今だから言えるが、当時の僕はこの関係性を逃したら、もうこの先なにもないと思っていた。Lenで言われたあの言葉が、リフレインのように頭の中で響いていた。

そうこうしていく内に時は経ち、僕は新卒の一年間を終えていた。カヤックでの仕事もそれなりにではあるが、少しづつ回せるようになっていった。社内に信頼できる友人や、尊敬できる先輩も増えていった。

しかしその反面、「編集者」という職業への気持ちは燻り続ける一方で、会社に黙って転職活動も進めていた。当時のHuuuuは「ギルド」というフリーランスの集合体でのチーム体制をしていて、編集未経験の自分が飛び込むには、あまりにも無謀だと考えていたからだ。

そして、いくつかめぼしい会社を探して、転職活動を進めていく内に、とある会社から好意的なお返事を頂くことが出来た。いつかHuuuuで働ける日のために、これを足がかりに経験を積んでいこうと思っていた。

そんなある日、諸々の報告をしようと柿さんに電話をした。まだどこかで何かが引っかかっていたのだと思う。電話先の柿さんはちょうどイベントの設営中で忙しいことが伝わった。あまり時間を取らないように端的に今までのことをまとめて話した。

柿さんの記事を読んだからここまで来れたこと。いつか柿さんと一緒に働きたいこと。そのために転職して経験を積もうとしていること。これからも一緒に色々遊びたいこと...。

諸々の報告を終えると、少し間を開けて柿さんがこう言った。

「じゃあHuuuuで働かない?ちょうど日向君みたいな奴探してたんだよ。」

再び心に火が灯った瞬間だった。
そうして僕は、Huuuuへの加入を決意した。

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担々麺の辛さに圧倒される柿次郎さん

■これからやること

「Huuuuへの加入の理由はわかったけど、じゃあ実際なにすんのよ?」というあなた、ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

僕がHuuuuでやりたいことは主に3つあります。

①編集者として
美大での6年間で、自分にアーティストの才能はないことに気づきました。その代わり、人の才能に全力で感動できるという才能があることにも気付いたのです。決してアーティスト一本では食っていけれないけれど、その伴走者としてならば、自分でもなにかできるのではないかと考えました。

以下は、菅村雅信さんの「はじめての編集」からの引用です。

編集者は、自分よりもずっとうまく写真を撮れる人、自分よりも上手く原稿をかける人、自分よりも上手くデザインのできる人を集め、彼らの特性を生かしたディレクションをすることによって、自分のアイディアを、当初考えていたもの以上にすることができるのです。

その後に続く言葉にもありますが、言い換えれば、編集者は何も出来ない人です。編集者には免許や特殊な機材は必要ありません。でも、自分が出来ないことに人一倍自覚的になることで、自分よりも遥かに才能があるスペシャリストに感動し、集め、彼らを指揮することで、何でもできる人になることができます。僕はそんな編集者になりたいと考えています。

②イラストレーター/ライターとして
とは言ってもやはり絵を描くこと、文章で何かを表現することは一生続けたいと思っています。Huuuuの大きなテーマでもある「ローカル」を元に、日本全国津々浦々を飛び回り、各地に転がるまだ誰も知らない魅力的なものを、イラストと文章で発信していきます。

③シンカイのオーナーとして
こちらに関してはまた改めてご報告できればと思いますが、長野はやってこシンカイの三代目オーナーに就任しました。本当に素敵な場所です。多くの人が紡いできたこの建物への想いを汲みながら、この場所を一つのメディアとして捉え、ここから全国に様々な価値をお届け出来たら良いなと考えています。

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■まとめ

こうして思い返すと、偶然の連続と沢山の人のご好意で今の僕がここにいます。

あの時、絵を描いてなかったら。
あの時、長野や京都に行かなかったら。
あの時、あの人に会えなかったら。
あの時、一生懸命になれなかったら。

もちろん、「あの時あんなことしなければ」なんて後悔は山程あるし、寄り道もいっぱいしたし、結構な遠回りもしてしまったけど、ようやく、スタート地点に立てました。

ありがとうございます。あの時あなたがいてくれたから、今の僕がいます。

最後にもう一度「ゆれる」の歌詞を借りるのであれば、人生の中で時折訪れる、生きてる実感を味わう瞬間。ほんのその一瞬一瞬を求めて、時代に合わせて呼吸することなく、感謝の気持を忘れずに、これからもダイナミックに生きていこうと思います。

こんな僕ではありますが、今後も一つ、宜しくお願い致します。

日向コイケ
twitter:@hygkik
instagram:@hygkik

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※Huuuuへのお問い合わせはこちら
https://huuuu.jp/contact

写真:藤原慶

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