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古今和歌集を読む

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古今和歌集(こきんわかしゅう)から親しみやすい歌を読みます。やさしい解説付き。ちょっぴり優雅な言葉の時間をあなたに。
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自分なりに学び、発表して楽しむための工夫(学ぶときの心がけ)

結城は2014年に「古今和歌集を読む」という活動を始めました。ときおり年単位(!)で休んだりしつつも、ぽつぽつと続けています。こういう活動はなかなか楽しくて好きです。 活動の中心はnoteで公開している「古今和歌集を読む」という無料マガジンです。 ◆「古今和歌集を読む」マガジン 古今和歌集から適当な歌を選び、古語辞典を調べ、参考書を読みます。そして現代語訳(概要)を作り、その歌に登場した古語の意味を書き、文法事項を簡単に説明します。それで一本のノートにします。 そんな

現代に通じるからこそ古典

結城はnote(ノート)で「古今和歌集を読む」というマガジンを更新しています。 このマガジンは、ぽつぽつと古今和歌集の現代語訳と文法解説をここ数年の趣味として書いているものです。記憶力が弱って暗記はできないけど、とても楽しいですね。 こういう書き物をしていると、中学高校時代に学校で古文を学んでいてよかったなあとつくづく思います。基本的な活用や係り結びなどを知っているだけでもかなり読めますし、古語辞典を引くときの「あたり」もつけやすい。まったく学んでいなかったら、こんなこと

思ふよりいかにせよとか秋風になびく浅茅(あさぢ)の色ことになる(読人しらず)

#読人しらず (よみひとしらず) #古今和歌集 725 #jtanka #短歌 #恋 あなたのことを思うより他にどうしろというのですか。秋風のままになびく浅茅の色が変わっていくように、あなたは飽きる気持ちのままに心変わりしてしまいます。 「いかにせよ」は「どのようにせよ」の意。 「浅茅」は丈の低い茅萱。「浅茅生」ならば雑草の生えているところ。「浅茅が宿」ならば雑草で荒れ果てた住まい。「浅茅が原」ならば雑草で荒れ果てた野原。 「秋」は「飽き」に掛けている。 「ことにな

どこへも行き着かない恋(古今和歌集を読む)

古今和歌集に、こんな歌があります。読人しらずの恋の歌です。 行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり 現代語に翻訳するなら「流れていく水に数を書くよりもはかないこと。それは、私のことなど思っていないあの人を思うことだなあ」とでもなるでしょうか。 ここに出てくる「思わぬ人」というのは、私のことを思ってくれない「あの人」のこと。「あの人」は、私のことを好ましく感じてくれることはあるのだろうか、きっとない。「あの人」は、恋心を私に感じてくれることはあるのだろうか、

久方のあまつ空にも住まなくに人はよそにぞ思べらなる(元方)

#元方(もとかた) #古今和歌集 751 #jtanka #短歌 #恋 あの人は遠く離れた天空に住んでいるわけでもないのに、私のことを自分とまったく無関係な別世界にいると思っているみたい。 「久方の」は「天」「光」「月」「都」などにかかる枕詞。 「あまつ空(天つ空)」は。「天空」「天上界」で、地上から遠く離れた場所というニュアンス。 「天つ空」の「つ」は格助詞で「天の空」の意になる。 「天つ風(あまつかぜ)」ならば「天の風」のこと。 「天つ神(あまつかみ)」ならば「天

逢ふまでのかたみも我はなにせむに見ても心の慰まなくに(読人しらず)

#読人しらず #古今和歌集 744 #jtanka #短歌 #恋 逢うときまで(これを見て気分をまぎらわせて)というあなたとの思い出の品なんて、私にとっていったい何になるでしょう。何にもなりませんよ。あーあ、こんなものを見ても心が慰められることはないんですからねえ。 「かたみ」は「思い出すためによすがとなるもの」「思い出の品物」「思い出させる記念のもの」の意味。 「なにせむに」は「なに+せ+む+に」。「なに」は代名詞。「せ」はサ変動詞「す」の未然形。「む」は推量の助動詞

古典文学のどこが好き?

質問以前、古典文学を読んでいらっしゃるという結城先生のツイートを拝見しました。 私も詩歌(特に明治〜昭和のもの)の類を読むことが好きです。しかし、どうして詩歌を読むことが好きなのか、私はまったく分かりません。理由は分からないのに好きという、とてもモヤモヤした状況であります。 詩歌のような、言葉による芸術作品を好む理由を伺うのは野暮という意見もあると思います。しかし、結城先生が古典文学にどのような魅力を感じられていらっしゃるのか、ということについてご意見を伺いたく、質問いた

花筐(はながたみ)めならぶ人のあまたあれば忘られぬらむ数ならぬ身は(読人しらず)

#読人しらず #古今和歌集 754 #jtanka #短歌 #恋 「花筐」は「花籠」。編み目が細かく並んでいることから「めならぶ」の枕詞になっている。 「めならぶ」はバ行四段動詞「目並ぶ」の連体形。「見比べる」の意味。 「あまたあれば」は「あまた+あれ+ば」。「あまた」は副詞「数多(あまた)」で「たくさん・数多く」の意味。「あれ」はラ行変格活用「在り(あり)」〔ら・り・り・る・れ・れ〕の已然形「あれ」。「ば」は已然形に接続しているので確定条件を表す接続助詞。 「あまたあ

わがごとく我をおもはむ人も哉さてもや憂きと世を心見む(凡河内躬恒)

#凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) #古今和歌集 750 #jtanka #短歌 #恋 私が恋い慕うのと同じように私のことを恋い慕ってくれるような人がいればいいのになあ。そんな人がいても恋はやるせないものなのか、試してみたい。 「おもはむ人」の「む」は婉曲を表す助動詞「む」で、「私のことを恋い慕ってくれるような人」の意味。 「哉(がな)」は願望を表す終助詞で「……がほしいなあ」や「……があればなあ」の意味。 「さてもや憂き」の「さても」は「そうであっても」の意味の

みても又またも見まくの欲しければなるゝを人は厭ふべらなり(読人しらず)

#読人しらず #古今和歌集 752 #jtanka #短歌 #恋 逢っても逢ってもまたさらに逢いたくなるので、逢うのがあたりまえになるのをあなたは避けているのでしょうね。 「見まくの欲しければ」は「見まく欲しければ」に同じ。「見まく欲し」は「見たい、逢いたい」の意味。 「なるる」はラ行下二段活用動詞「慣る・馴る」の連体形〔れ・れ・る・るる・るれ・れよ〕。「馴れ親しむ。なじむ」の意味。 「厭ふ」はハ行四段活用動詞「厭ふ」の終止形。「嫌って避ける」という意味。 「べらな

反実仮想と恋の歌(古今和歌集を読む)

夢だとわかっていたならば……新海誠監督の映画『君の名は。』は有名ですが、企画段階での仮題が『夢と知りせば』だったと先日知りました。  思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢としりせば覚めざらましを  古今和歌集552 小野小町(おののこまち) に着想を得たのだそうです。 現代語に翻訳するなら、次のようになります。 あの人のことを思いつつ眠るので、あの人のことを夢に見てしまったのだろうか。あれがもし夢だとわかっていたなら目を覚まさかったのに。 反実仮想古文の授業でも習

思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢としりせば覚めざらましを(小野小町)

#小野小町(おののこまち) #古今和歌集 552 #jtanka #短歌 #恋 あの人のことを思いつつ眠るので、あの人のことを夢に見てしまったのだろうか。あーあ、あれがもし夢だとわかっていたなら目を覚まさかったのになあ。 「寝ればや(ぬればや)」は「寝れ+ば+や」。「寝れ(ぬれ)」は下二段活用の動詞「寝(ぬ)」の已然形(ね・ね・ぬ・ぬる・ぬれ・ねよ)。「ば」は順接確定条件を表す接続助詞。「や」は疑問を表す係助詞(係り結びで「らむ」は連体形)。「寝ればや(ぬればや)」で「眠

かたみこそ今はあだなれこれなくは忘るる時もあらましものを(読人しらず)

#読人しらず #古今和歌集 746 #jtanka #短歌 #恋 この思い出の品なんて、いまとなっては何の意味も無いもの、むしろ恨みの種ともいえるものです。この品がなければあの人のことを忘れる時もあるでしょうに。 「かたみ」は「思い出の品」。ここでは「遺品」ではなく「昔を思い出させる思い出の品」の意味。 「あだ」は「徒(あだ)」(実質がないもの、無駄なもの、はかないもの)と「仇(あた)」(恨みの種)の両方をかけている。 「こそ〜なれ」は係り結び。「なれ」は已然形。

わが恋は虚しき空に満ちぬらし思ひやれども行くかたもなし(読人しらず)

#読人しらず #古今和歌集 488 #jtanka #短歌 #恋 私の恋は、虚空に満ちてしまったらしい。恋心をはるかに伝えようと思うけれど、その気持ちの行く先もないのですから。 「満ちぬらし」は「満ち+ぬ+らし」。「満ち」はタ行四段活用動詞「満つ」の連用形。「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形。「らし」は推量の助動詞「らし」の終止形。 完了の助動詞「ぬ」は自分の意志とは関係がなく何かが起きてしまったときに用います。それに対して完了の助動詞「つ」は自分の意志によって何かを起