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息子さんから「文章を書く仕事がしたい」といわれたら何と答えますか?(Q&A)

※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです(結城メルマガVol.119より)

「Q&A」のコーナーです。

このコーナーでは購読者さんからいただいた質問に結城が回答しています。いただいた質問は結城が編集する場合がありますし、また複数人からの質問を混ぜて一つの質問にする場合もあります。どうぞご了承ください。

●質問

最近「結城メルマガ」を読み始めました。
質問です! 結城さんはどんな経緯で「一冊目の本」を出したんでしょうか。また、文章を書く仕事というのはどういう感じですか。たとえば結城さんの息子さんが「文章を書く仕事がしたい」といったら、何と答えますか。

●回答

ご質問ありがとうございます。

お尋ねいただいたような質問は結城メルマガのVol.017でお答えしたことがあります。note(ノート)として切り出してありますので、そちらも合わせてお読みいただければと思います。

結城先生はどうしてライターになれたんでしょうか(Q&A)
https://note.mu/hyuki/n/n7dd4d822f2be

簡単に書きますと、インターネットが広く普及する前には、コンピュータのプログラミング技術誌がたくさん出ておりました。

結城がプログラミング技術的な内容の記事を書いて雑誌に投稿したところ、編集者の目にとまり、原稿を定期的に書くようになりました。いわゆる「連載記事」ですね。

その連載記事がまとまった分量になったところで、それを再編集して書籍としました。結城が最初に出版したのはその本です。いまからざっと二十年以上も前の1993年のことです。

そのころから雑誌の記事や書籍を書き続けて現在に至る……とそういう感じです。

 * * *

「文章を書く仕事」がどういう感じか……というのはむずかしい質問ですね。多くの仕事とあまり違いはないと思います。

 ・あれこれ考えて期限内に成果物を作り出し、
 ・それをしかるべきところに提出する。
 ・そして対価を得る。

このくらい抽象化したら多くの仕事は同じになりますよね。

どういう感じかを答えるのは難しいので、少し違う角度からお話しします。文章を書く仕事が「楽しい」かどうかといったら、これは文句なく楽しいです。特に本を書く仕事は楽しい。

結城は短距離走者ではなく長距離走者なので、長い時間を掛けて考えていることを本にまとめ、あちこち磨きを掛けて一冊にまとめるプロセスが大好きです。

プログラミング技術の本でも、数学の読み物でも、その部分はあまり変わりません。自分が調べたり考えたりしたことをていねいに言葉に変換して、読者に伝える仕事は楽しく有意義なものです。

そして結城は『数学文章作法』のような「文章を書くための文章」も書いているので、多重な楽しみもあります。文章を書いている自分を観察して、その様子をまた文章にするという、多重録音みたいな楽しみですね。

とはいってもお仕事ですから楽しいだけではありません。「苦しい」ときもあります。

どういうときが苦しいかというと、あたりまえですがうまく書けないときですね。文章は頭の中から手を通って流れ出るものですから、うまく書けないときというのは、結局頭の中からうまく出てこないときです。そしてその多くは「考えが足りないとき」ということになります。

時間を掛けてしっかりと考えないと、考え続けていないと、文章を書く仕事は苦しいです。特にひとりで仕事をしていると、「書けないとき」の苦しさは、自分の心にダイレクトに迫ってきますから、十分「心の健康」に気を配る必要があると思っています。

 * * *

「文章を書く仕事がしたい」と息子がいったら何と答えるか、というのは非常にユニークな質問ですね。思わず考え込んでしまいました。

まず、すぐに思いつくのは、結城が何度も何度も言っている《読者のことを考える》という原則ですね。これを忘れなければ、大きなまちがいをする危険性はなくなると思います。きっとこのことを子供に最初に伝えると思います。

「文章を書く仕事がしたい」という希望そのものに関しては、「やってみたら」というかもしれませんが、「その前にいろんな経験をしてみるのも悪くない」というかもしれません。

結城が現在仕事をしているときに、自分の人生で無駄になっているものはほとんどないなあ、とよく思うからです。

学校で学んだこと、生活で体験したこと、そしてもちろん読んだ本……そのすべてが現在の自分を作ってきたと思いますし、そしてそれが文章を書くことに大きく役立っていると思うのです。

 * * *

その一方でこんなことも思います。それは、

 文章を書く仕事をする人は、
 誰から何を言われようとも、
 いつのまにか文章を書いている。

ということです。

人は、自分にしっくりくる生き方、生活の仕方というのものを自然に選び取っているのではないでしょうか。それは眠っている人が寝心地がいいように姿勢を絶え間なく変えるようなものです。また、猫が家の中でいちばん居心地がいい場所を選び取るようなものです。

文章を書く仕事をしている人は、いつのまにか文章を書いている。何かを思いついては文章を書き、新しい体験をしては文章を書く。好きな人ができたときにはラブレターをせっせと書き、親しい人が亡くなったときにはその悲しみを文章で整えようとする。少なくとも、結城はそういう特性を持っているようです。

絵を描くことをなりわいとしている知人がいますが、その人はずっと絵を描いています。結城が文章を書きたくなる局面で絵を描きます。だから、きっと、こういうのは(ある程度は)生まれながらの特性だと思います。

でも、自分が生まれ持ったものだけで「仕事」になるわけではありません。自分が持っているものを見つけだし、そこに栄養を与えて、十分に育てる必要があると思います。それは「自覚」と呼んでもいいでしょうし、「覚悟」と呼べるのかもしれません。

さて、ここまでで、ちょうど半分。

つまり「文章を書く仕事をする」ことのうち、「自分の側」に属する半分ということです。お仕事にするためには、もう半分つまり「相手の側」が必要になります。自分の仕事を認めてお金を払ってくれる側が必要になるからです。これがなければ仕事は成立しません。

「相手の側」は、自分の努力でコントロールすることはできません。うまくいけばそのような仕事に出会えるかもしれませんが、いくらがんばっても誰も認めてもらえないかもしれません。それはとてもシビアな話だと思っています。そこには「運」や「タイミング」や「出会い」や「チャンス」など、よくわからない要素が絡んでくるでしょう。

自分にできることは、何かのめぐりあわせでそのような「出会い」やら「チャンス」がやってきたときに十分に自分の力を発揮できるように、準備を怠らないことだけです。

もしも「文章を書く仕事がしたい」と息子から言われたなら、相手の反応を見ながら、以上のようなことをぽつぽつと話すと思います。

 * * *

なんだかいろいろ書きましたが、考えてみますとほとんどが「文章」とは関係がなく、どんな仕事にもあてはまることかもしれませんね。

余談になりますが、何かについてほんとうに考えを深めていくと、いつか、

 「自分の人生とは何か?」

という哲学的な問いにぶつかります。

なぜかというと「どうすべきか?」という問いは、突き詰めていけば「自分が求める価値」や「自分が求める幸福」につながっていかざるを得ないからです。

小難しい言葉を使って表現するかどうかはさておき、「自分は何を大事にしたいのか」という問いは、「自分の人生とは何か?」という問いにほかなりません。自分の価値観、幸福観を考えているわけですから。

もちろんそんな問いに対してGoogleで検索しても答えは見つかりません。でも、だからといって問うことが無駄なわけでもありません。こうだろうか、ああだろうかと悩みつつ、迷いつつ、自分の装備に不具合はないかと考えつつ、自分の人生を歩むわけです。

そのようにあれこれ考えることそのものが、人生を豊かで実り多いものにしてくれるのかもしれません。

 * * *

※Photo by webtreats.
https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/5972016444/

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※以降に文章はありません。「投げ銭」感謝。

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