『飲む』#244

よく飲む。がぶがぶ、ごくごく、お腹がパンパンになるくらいまで飲む。
酒の話ではない、水。酒も飲むけど、最近はアルコールにめっきり弱くてたくさんは飲めない。いっぽう相変わらずで、1日に十何リットル飲んでいるのかとわからなくなるくらい、四六時中飲んでいるのが、単なる水。お茶とジュースとか、お茶はペットボトルを持ち歩く時にはすべて飲みきるけれど、たとえば飲食店のお冷なんか、めっちゃ飲む。ピッチャーが卓に置かれているところでは3杯は少なくとも飲んでしまう。
元来、代謝の活発なわたくし、汗をかく量も夏場に限らず冬でも多いし平熱が高めなこともあるからかすぐ汗をかいてしまう。水をたくさん飲むのは健康的には良いことだと知ってからは、水太りって言葉があることを知りながら喉が渇いた気分がしたら飲む。自分の部屋にいたら、本を読みながらふとした瞬間に手にとってがぶりと飲む、だいたい一口で100ccは飲むので、4、5回、飲むとおかわりに立たなくてはならない。ときどき誰かの外出時の水筒を見て「300ccの水筒って外で薬飲むようとかなのかな」と思うくらい足りない。足りる感じがしない。それこそ食事に入ったお店で水を飲むこともできるし食べ物から人体は水分を摂る仕組みもあるわけだから、日中の水分摂取を全て水筒で賄うこととは違うぞと、わかっちゃいる。
わたしはなぜ、こんなに水を飲むのだろう。
身体は、本当にそれほどの水を求めているのだろうか。口寂しさから水を口にしてしまうだけなのではないかと思いもする。
一度、か、何度か、あまり水をとらずに食事のときに(ふだん食事中は飲まない。気をつけて飲まないようにしている)だけ水を飲んで、何か仕事や読書やしているときにも飲まずにいる日を過ごしたことがある。特に問題はなかった。欠乏感もなく、かといって達成感があるでもないが、とりあえず不調をきたすことはなかった。ただ、一日に行くトイレの回数がものすごく減った。当たり前といえば当たり前のことだけど、飲む分が減れば出る分も少ない。ただ、それだけのことだった。
人が水を、飲料を摂ることって、身体が欲したときに摂るだけで十分なんだとわかった、そのとき。すごい発見でもないし当たり前の事実を身をもって体感した、それまでのことだ。人間は水無しでは生きていけないけれど、必要なときに身体が求める分を飲める環境であれば、生活にさしたる影響はない。
その、実験でわかったことが一方であって、仕事をしているときの休憩は立ち歩くだけでも菓子を食べるだけでも「リセット」としては効かないことで、水を飲んだときには思考と口腔内の緊張とか体内のあれこれを、水に流せるのだ、ということ。緊張を落ち着けるために水を飲む、そんなライフハックがあるがそれに似て、欠乏しないまでも人体は代謝するうちに水を失い続けていて、着実に消耗して乾いていってはいること、これを知る。

#飲む #180819

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