『夕立』#247

橙色に染まるはずの空が、重く暗い空、黒い雲が立ち込める。暑かったはずの空気はどこかひんやりとして、明滅する空はゴロゴロと鳴く。子どもの頃は、雨が強く降るその状態以上に、その前段階のこうした現象が、恐ろしいものの前触れっぽくて怖かった。そして、夕立についてもう一つ、心に残るのはドッカン降った後の夕空の綺麗さと足元の清々しさ。夕立は、ひとしきり降った後でも空が明るい。降ってそのまま晴れても暗くて夜になっている、とはならない。ここがなんかグッとくる。だから夕立は、「やべえ」と思い始めて雨宿りをして、滝のような雨を目の前に待ち、また明るくなって晴れてから、明るいうちに帰れる、そのわかりやすい一過性の出来事なのが、ときめくポイントだと思う。思っている。
夏の終わりの、ひぐらしの鳴くころの、季語、台風の襲来や入道雲のあらわれのような、時期柄のもの。
これが最近、ゲリラ豪雨として一緒くたに呼ばれることが多くて、少し寂しいのと腹立たしいのとで、変な心地、「え、わたしもしかして、、あの人のこと好きだったの…?」と恥ずかしい自覚をするような、夕立への想いが芽生えている。ほんとうに恥ずかしい。
神奈川にいると多くはないけれど、東京の都心部ではしばしばゲリラ豪雨と呼ばれる突発的で激しい大雨が降ることがある。それは多くは昼だが夕方でも起こるし夜でも起こる。神奈川から東京方面に重たい黒い雲が立ち込めるのを、青空の下から見ることもできる。熱帯地方のスコールと同質の雨で、温暖化の影響と言われている。納得である。
それに比べると、夕立はかなり限定的で固有の性質、個性というと変だが、夕立には夕立と呼ばれる条件がある。雷鳴と暗雲、気温の低下、降雨後の夕焼け、それと、私が個人的にこれが一番の夕立らしさなのかと思うのが、夏の終わりを告げるものであること。ゲリラ豪雨一般にしても、夏の終わり頃にもあるけれど盛夏にもバンバン起こる。夏の季語にはなるけれど、長い夏を通すもので、晩夏の夕立のような儚さはどうにも宿らない。
こんなこと書いて、だんだん自分が老害化していくのだろうかとまた恥ずかしい思いに駆られる。

#夕立 #180822

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