『捨てる』#347

少しずつ、部屋の不要なものや過剰なものを減らしていっている。本ならば古本屋へ持って行っているけれど、着古した衣服やその他の雑多なものものは、袋にまとめて捨てている。かつてゴミなんかじゃなかったものを、ゴミにする、ゴミなんかにする、その、この経験って、子供のうちに体験しておくべきだな、なんてことを思う。「心苦しくて、何通りでも捨てたくない言い訳をこしらえることはできるけれど、それでも捨てなくてはいけないんだ」という経験。それができずにいま、部屋の中は捨てたくないもので溢れかえっている。例えば未使用のノート、例えば未使用のボールペン、例えば過去に使っていた携帯電話、ありとあらゆるものが手放してもいいもの、捨ててもいいものとして部屋にある。私以外の他人から見たら、「要らないよね」とキッパリと断じて捨てるだろう。けれど、「あ、それは祖父から貰ったノートで」とか「インクが綺麗だからとっておきたくて使っていないだけで」とか「昔のメールや画像が残っているから」とか、捨てたくない理由はこちら側にはたくさんある。結局、わたしは捨てたくない言い訳に負けっぱなしだ。
もうひとつ、捨てることについての話。
川崎とか、渋谷とか、雑然とした街の路上で、空き缶とかタバコの吸い殻とかコンビニのホットフードの包み紙とか、いろんなものがポイ捨てされている。割れ窓理論とはよく言ったもので、喫煙所の近くとか、歩道の縁石の上とか、ひとつ空き缶が置かれているだけの場面より何個かが整列して置かれているのを目にする。下劣な良心があったもんだなと思うけど、「誰かが最終的にゴミ集積場に送ってくれる」あるいは「自然に還る」と思っていればそれが自分で許せてしまうのだろう。それでいま思うことは、いま機械化とか自動化とか、人間の労働に替わる機械の登場が多方であるわけだが、路上のゴミ拾いを、「ヒト」が行なっているか「ロボット」が行なっているか、その違いで、ポイ捨ての状況ってまた変わるだろうなあと思うわけで、いま現在の自分なら、ヒトが目の前にいたとしたら絶対にポイ捨てできなくてゴミ箱が見つからなかったらどこか隠れた場所に置く。でもロボットだったら、気兼ねなくその場に捨てるか、さらにロボットに近づいてロボットの目の前に「拾えや」って捨てるだろうなって思う。
ものを捨てることに伴う罪悪感って、今後かなり多面的に価値観論争が巻き起こりそうだなとなんとなく、想像して、多様性と一括りにされる一面と、細分化されるパターンから多くの面が、見えてくるのかなとモヤモヤしてきて、これこそ無用な心配かもしれないなと思って、捨て置きたいなと考えもする。

#捨てる #181130

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