『缶コーヒー』#49

コーヒーが缶コーヒーになるだけでおつかれさまを伝えるアイテム。歌ひとつパッと読める。
ボスはサントリー、ジョージアはコカコーラ、えーっと、キリンはファイヤ、アサヒはワンダ、ですね。思い浮かんだ順に挙げてみた。特にこだわりもなく、朝なら「ワンダ モーニングショット」、昼ならどれかの微糖、夜ならどれでも無糖、朝までなら微糖、…端的に広がる選択肢のひとつひとつであるという。
小・中学生の頃になんて缶コーヒーを飲むことはまず無い。ただ、そのころのテレビCMでは、「♪ボス、いつもそばにいてね」とか「♪明日があるさ」とか替え歌の歌い出しがあるものがあり、宇宙人・ジョージアが日本で悪戦苦闘しながらサラリーマンとして社会慣習に従ってなんとかやっていくものがあり、とにかく「サラリーマンの疲れた日常で一服つくもの」と描き出されたステレオタイプがわたしの意識を席巻している。
高校生の頃には(記憶にある限り)一度だけ飲んだ。父親に頼まれて、ある大会会場の駐車場での交通整理。たしか、3時間で5000円出すからさって言われて、ほとんどの時間を暇なまま過ごした。その終わりに、「終わったよ」と言いしな「はいおつかれ」と。渡された。微糖。やっぱり、おつかれさまを伝えるアイテム。
労働環境によりけりとはいえ探せば見つかる自動販売機で大体売っていて、冬ならあったか〜いのが、夏ならつめた〜いのが、差し入れられる。男っ気の強い職場なら尚更に、缶コーヒーである。不思議で、釈然としないところが、おじさん方は別に「コーヒー」が好きなわけでは無い、もっと正確に言うなれば、コーヒーの味わいに一言持っているわけではない、というところ。豆はどこのが、ペーパードリップやサイフォンの違いがどうとか、酸味や深みや香り・果実味がどうとか、そういうところには踏み込まない。家で飲むなら、ネスカフェかキーコーヒーのインスタントを、スプーンでざかざかやって魔法瓶から湯を注ぐ。そんなところだ。
今回のnoteを書いている中では一度も検索していないけれど、「缶コーヒーの社会学」とでも銘打たれた新書か論文がありそうなものだと思っているがどうだろう。建設現場での(わたしが馴染みのある場所といえばそこ)差し入れに缶コーヒーがよく選ばれるのはなぜか・いつからその慣習が始まって根付いたのか、味付けは働く人の意見をもとに変えられているのか、とか。鳶職に好まれる味と塗装屋に好まれる味が違うのか、はちょっと気になる。
飲みきれるサイズと疲れた体に沁みる甘みとコーヒーを含むために甘ったるさはない、そしてなんとなく、ハードボイルドというか「よく働いた」感を味わえるのが缶コーヒーなのかもしれない。それは果たして、労働と味による体験に基づくのか、広告による刷り込みなのか。

#缶コーヒー #180205

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