『電柱』#63

映画「風立ちぬ」を観たことがあるだろうか(このnoteは時折、読者無視で共通認識を作らなかったり、またはいきなり問いかけて共通認識を持たせようとしたり、スタンスがバラバラだ)?その映画のなかで、主人公の二郎(飛行機の設計者で天才的で努力家でもあり善良な性格でもあり非の打ち所がない彼)の夢の中に、彼の憧れるイタリアの飛行機設計者カプローニが表れて自ら設計した飛行機を案内しながら二郎に問う。「きみは、ピラミッドのある世界とピラミッドの無い世界、どちらが好きかね」と。戦時中、軍国主義が強く形成も劣勢、国も貧しく市井の人々も貧しくなるなか、軍のため膨大なお金を費やしながら飛行機を設計し、その二郎はじゅうぶんな給与を得て不自由ない暮らしをしている。その描写・セリフが、「文明」を象徴するのか、「絶対君主(ここでは設計者)のエゴ」を象徴するのか、「ピラミッド型の身分・階級」を言うのか、解釈が分かれるところだなわたしは2つめ(こういう時って最初か最後に置くべきだ)の、「エゴ」だと思っている。この理由は、後付けの理屈なので吹けば飛んでしまうようなものだけれど、自分が建築設計を勉強している最中に観て3度も劇場に運んで観て他人の解釈を聞く前に観ながら「設計者のエゴで、積み重ねられた失敗による損失、成功による死の地獄、これらが創造されるんだ」と感じていたからだ。そして、わたしがその一節のようにふとしたとき、問いかけられることが、「きみは電柱のある世界とない世界、どちらが好きかね」というもの。
いつだったか、Twitterにある画像が流れてきたときがあった。それはたしか「電柱・電線を無くして良好な景観を!」みたいな呼びかけポスターだったと思う。浮世絵風で、富士山が背景にあって手前側を電柱と電線が縦横無尽に走っている景色のイラストだった。ただ、そのイラストを見て瞬間的に「かっこいいじゃん」って思ってしまった。この、思ってしまった、という意識は「ポスターの意に反した感想を抱いてしまった」みたいな背徳感で、自分の感情の電柱電線への肯定否定をもたない。ただ、このときから電線と電柱のある世界に、愛しさみたいのをもつようになった。ある種の減りゆく希少価値への愛情のようなものだと思っている。交通や往来には邪魔だし、電線が切れるリスク、あと外で体操着袋を放り投げ(ガキか)るときの危うさ、そして先のポスターで示唆されるはずだった空の広さについて言えば電線も電柱も無い方がいい。地中で切れたときのメンテナンスしやすさは、わからない。
それでも、電柱のある世界とない世界、どちらが好きかねと問われたら、電柱のある世界を選んでしまうだろうな。エゴだけど。

#電柱 #180219

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