『黒い』#96

96番から語呂で引っぱってきてこちら。以前に『白い』を書いた時と同じようにやわらかく定義するに、ぱっと見でなんとなく「黒い」こと。そして、「特筆して黒さが際立つこと」について。
数値でいう、マンセル値のN1、日塗工のN10、CMYKの(0,0,0,100)、そのへんは一度使ってみたいと思う。いや、プレゼンボードや諸々の書類で文字色がデフォルトで黒、black(CMYKの(0,0,0,100))は何の気なしに使ってきた。けれど、そうではなく、意味のある黒、虚無の黒、空間を生む黒。憧れる。
わたしは画家のマネ(Edouard Manet 1832-1883)の絵が好きで、黒色の使い方がものすごく、私の心を惹く。一番最初にどこで見たのだったか、コントラストの弱い灰色がかった背景と人物がいるなか、帽子とスーツの真っ黒、真っ黒が周囲の光と私の視線を吸収した。それからは、見た順序は覚えていないけれど、テレビ番組「美の巨人たち」で見た《笛を吹く少年》、ヨーロッパひとり旅の時にオルセー美術館で見た《オランピア》《草上の昼食》《菫の花冠をつけたベルト・モリゾ》、これらは有名どころで知っている人も多いかな、どれも印象的な黒色が使われている。《笛を吹く少年》のチョッキのバチっとした黒色、ズボンの痛いような赤、背景を廃したねずみ色、これはコントラストが強い。《草上の昼食》では妙な構成が出来上がっている。林の中、3人の男女、それは2人の男性と1人の女性。みなくつろいだ雰囲気なのだが、女性は全裸で白い肌が際立って明るく光る。一方の2人の男性は黒い服に黒い帽子、モードとも禁欲的とも見える。いやらしさもなく描かれたのちのピンクも想像ができない。ただ、くつろいだ雰囲気の昼食どき、眩しい肌と光を吸う黒服が目を奪う。
黒とは、ただ色が黒いということではなく、入射する光を反射せず吸収し、その黒色の部分からの光が目に届かない、ということ。
その、光を吸収して反射しない、目に光をほとんど送らない黒色を、アーティストのアニッシュ・カプーアは独占した。光の吸収率99.96%、色の名前はペンタブラック(塗料の名前だったかな)。金沢21世紀美術館で見たのが初めてだったと思う。個室、ある一面の壁はコンクリートの打ち放し、足元から天井にかけてこちらから離れていき、斜めにスウェーバックしている壁。そこに、正面から見ればおよそ正円、壁には縦長の楕円形に、そのペンタブラックが塗られている。初めに正面から見たとき、壁に穴が空いているんだと思った。少し横に動いて斜めから見てみる。それでも、穴だ。壁はどうやら斜めになっているらしく、穴は綺麗にくり抜かれて楕円だ。ただ、だんだん、わかってくる。それは穴ではなくて、壁と同一面で、ただ黒いだけだということ。発光も反射もせず光が一切こちらに届かない。強烈だった。他の場所では、壁に皿状の物体が設置され、こちらに見える皿の内面がまたペンタブラックで塗られている。皿の外側は白い。まったく、皿が窪んでいるのか平らなのかわからない。とにかく黒い。先述したように、このペンタブラックの塗料をアニッシュ・カプーアは独占した、独占している。魔法を独り占めしている。それに対抗して、あるアーティストグループは新しいピンク色を開発してそれを、当て馬のごとく権利フリーで広く開放しているという、魔法的黒色をめぐるせめぎ合い(アニッシュ・カプーア的には我関せずな気持ちなのだろうか)がある。
光を反射しないこと、物体の形状がわからないということ。スーツのスラックスには光沢があるから、裾や腰回りのシワがかっこよく見せられる。それがなかったら、黒い棒が、胴と足を繋いでいるだけに見えてしまうのだろう、立体的に見えること、立体的に見せること、ここに色彩を介在させて、脳内での「物事を立体的に、多面的に見る」思考を変えることができたり、しないだろうか。それが気になる。そして、立体視しづらい脳内事物は実は、脳内では黒く変色しているんじゃないか、そういう考え方もできよう。黒い思考材料。

#黒い #180324

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?