『造花』#94

フェイク、って言葉が「フェイクニュース」と呼ばれる、虚偽の情報で作られた偏向・誤報道の、SNS等での異常拡散によって目にする機会が多くなった。特に、テレビやラジオで聞く機会よりも、Twitterのタイムラインやニュースアプリでの「フェイクニュース拡散→否定→厭世観」の三段リツイート群で目にすることの方が圧倒的に多い。そんな、フェイクがより面白味と現実味をもって拡散されてしまう現状を、嘆いているのか楽しんでいるのかわかりかねる、ポスト・トゥルース(Post Truth)という言葉もあって、地獄のような高度情報社会が成熟しつつある。
フェイクに関してそんな所感をもつ一方、生花を模した造花について、物心つく前のママゴトセットにあったいちごやみかんの樹脂おもちゃやお花、街中においては店舗の飾り棚に置かれる百合や、クリスマスならポインセチアやヒイラギ、これらについてはどうも今になっても雰囲気はかつてのままで、真実味というか本物っぽさは向上しないままに感じる。ママゴトの造花・造果物については、むしろリアルにしてしまうと子どもにとって見分けがつきづらいことで悪影響を与えることもあるのだろうな、誤飲とか。
文字情報のフェイクと、物体である花や果物のフェイクとを並べたのも変な話ではあるけれど、食品サンプルや、人形への特殊メイク、アンドロイドなど、物体の方のフェイクもグンとリアルに近づいている。
私が身の回りで目視する造花が、そもそも質が低かったり(高級な飲食店にいくことがなかったりね)低価格の遠距離用でしかなかったり、知見の幅が狭いということは大いに考えられる。造花についてはコストと質が比例しそうな印象がある。あるが、案外変わらないかもな、そもそもの製造場所次第かな、という感じを、内装・装飾関連のバイトをしたときの経験からそう、思い直した。
毎回、触れるたびに気になる。主だった茎から伸びる葉の茎、それが三角形断面であること、それが多い。それだけでもないけれど、造花って、見れば見るほど、本物との違いを観察したくなる。造花をよくみて、見た目の違いや風に対する揺れ方とか、明らかに違うのが茎のうぶ毛と花びらのしっとり感だったり、見れば見るほど見つけるほど、楽しくなる。そして、枯れずにそれは、フェイクのまま長い年月を耐え抜きながら樹脂が朽ちる。朽ちるところをみたことは、ない。
枯れる侘び寂びはないけれど、本物にはない安定感、素人でも与し易くてありがたい。これから春になって、まもなく満開の桜が見られるところ、儚さを思って早々さみしい。

#造花 #180322

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