『エプロン』#331

一人暮らしを始めてから、生活に馴染んでいくうちあると数段便利だろうと思って購入したもののひとつにエプロンがあって、購入したことに一切の後悔はなく、一人暮らしを続けている間は使い続けていた、残念ながらいまは登場機会が少ない。
そのときのは決して高いものでも無く、大学生のさもしい懐事情からすれば当然で、無印良品で買った膝くらいまでのカーキ色のエプロン、前にポケットが2つ。ただ、購入するときの決意のようなものに何が故かわからないけれど、熱いものがあった。いまこうして改めて書いてみるうちに考えていて、もしかしたらこうかもしれない、と思うところはある。ひとつは、自分の生活の面倒を自分で見ることをハッキリと意識した自負心からくるもの。一膳のあたたかいごはんにありつくにも、米を手に入れて、炊く道具を用意して(初めのうちは炊飯器を使って炊けるだけ炊いて冷蔵していたけれど、途中で一時期、食べる分だけフライパンで炊く習慣があった)、米を研いで、炊き上げる鍋や炊飯器に水を張り、熱を加えて時間をみる。炊飯器ならば炊ければ自動的に炊飯の加熱をやめて保温にかわる。鍋やフライパンで炊いているならば強火から弱火に変えるタイミングと火を止めるタイミングは自分で面倒を見なくてはならない。炊き上がった米を茶碗に盛ったのちすぐに食べてもいいが、残っている米に保存の支度をしなくてはならないのだから食べっぱなしというわけにもいかない。実家で暮らしているうちはすべての段取りのうちの「ご飯よそっといて」とか「炊飯器洗っといて」の部分部分でしか触れなかった家事の、全てを全うするのだという決意、それがエプロンに表れたのかもしれない。
もうひとつには、大学1年生の短い期間にパスタ屋でアルバイトをしていた経験で、そのときにキッチンスタッフとして自分のダメダメさ加減に苦い思いをしたことから跳ね返って「今度は“やれる自分”を自分で鍛えるのだ」って、心奮い立つ気分を味わっていたのかもしれない。
覚悟のようなものを持って手に入れたエプロンは、キッチンに立つ自分の切り替えスイッチとして、それに、普段着とはいえ油や水はねで汚れてしまえば悲しいし、洗濯をするのも自分、キッチンに立つ自分を守る鎧として、気分を作り上げるアイテムだった。あと、濡れた手を拭きたがる自分が無性に憧れた「エプロンでバッバッと手を拭く」その動作ができる満足感、それはそれは良いもので、とても性に合うものだった。

#エプロン #181114

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