『乾く』#353

いま、乾くのを待っている。水で書いた毛筆の練習用紙、毛筆の練習に毎回墨を刷ることなしにできるよう用意した水で書ける毛筆の練習用紙、紙というかこれは布なのかもしれない、それが、乾くのをいま、待っている。用紙はひとセットで5枚入っていたので1枚書いたら次の1枚、また次の1枚、と使い回していけるのだけれど、いきおい気合が入ってどんどん書いて文字が大きくなったり点画が気になって何度も書いたりその点画を含む漢字を改めて大きく書いたり、夢中になるとあっという間に5枚を書き散らしてしまい、次の1枚が無くなる。1枚目に書いた用紙も、うっすらと乾いてきているのを確認できるがしかし乾ききっていなくて、上から書いてしまうと濃淡に差が出るのできちんと乾くまで待たないと、質の低い練習になってしまう。乾くまでの時間は、脳内でのイメージトレーニングと腕の素振りに費やされる。まだ手先の感覚と筆先の感覚(筆自体は神経を持たないのであくまで私の、神経の想像移植。そんな内容は過去に何かで書いた)が一致していないのでイメージトレーニング自体は効果が薄いのだけれど、けれど、指先と筆先を意識の中で近づける働きは少しだけある、そう思う。そんなことを思いながら、まだまだ乾きそうにないのでこうして指をiPhoneに置いて書いている。
乾くのを待つ時間って、そういえば色々ある。どっちかといえば、湿るのを待つ時間より、乾くのを待つ時間の方が機会が多い(長い)のではないかとも思う。湿るのを待つのって、コーヒーをハンドドリップで淹れるときの蒸らしの時間、がんもどきや乾物を煮るときとか、あとは、あとはもう、今は思い出せない。乾くのを待つのはこうして、何か水でもインクでも、書き物の待ち時間だったり、風呂上がりに髪を乾かす時間だったり、グラウンドに水を撒いてびしょびしょになった時の“ほどほど”まで乾くのを待つ時間、食器を洗ってから乾燥棚に置いて食器棚にしまえるまでの時間、服を洗濯して干している時間、あとは、干し柿とか干し芋とか乾物を作っている時間も、乾くのを待つ時間だ。どうやら人間にとって、湿っていることは不都合である場合が多いようだ。髪や服が湿ったままいれば臭うし、インクが乾かぬうちに擦れば滲んでしまう。乾くことにも湿ることにも、乾き過ぎれば割れるものや味を失うものもあり、湿り過ぎれば軟化したり重くなるものもあり、過ぎたれば、と言うところだが、湿り気のデメリットが目立つ。
それにしても、早く、乾かないかなあ。

#乾く #181206

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