『白い』#86

これほど難解なものはない。イラストやコラージュグラフィックや写真、マグカップや皿、シャツやノートに至るまで、白系統のものが好きなのだが、一切汚せない白よりうっすら黄味がかっている、よくオフホワイトと言われるあたりまでが好色の範囲(意味合いが変わるか)。マグカップについては蚤の市や古道具屋にいったときに好みのがあったら買ってしまうのだが今のところ白系統のが5つある。使うでもなく眺めている。ただ、どれもやはり真っ白いものでもなく、練りあがったときな混ざった暗い粒や、使い込まれた黒ずみ、ものによってはうっすらヒビが入ってそこにカフェオレなのかなんなのかが染みたような稲妻が刻まれているものもある。味というかエイジングというか、デニムだったら「育てる」と言われるような時間のかけ方がされた白色を好むし、自分でそう楽しみたいと思っている。ただ、私の普段の持ち物はカラフルなのだが。カバンの中で見やすいように色を全て違えている。ペンケースは白で、メガネケースは黄色、充電器等ケースは灰色で、それらを統合するバッグインバッグはベージュ、それとA5ノートとペン数本を収納する帆布ノートケースは緑。かつて手帳カバーは水色だったけれど軽くて小さいのにしたいからと、ノートケースにA5ノートと一緒にしまっている。財布は赤茶の革、定期入れはキャメル色の革。
結局持ち物に白色はペンケースだけ、と思わせて、ノートケースの中には2つ。A5のノートはmidoriのMDノート。白というよりオフホワイトとではあるけれど、無地の表紙で気持ちいい。もうひとつは手帳で、ほぼ日のweeks、新書サイズの真っ白いフェイクレザーカバー(というか表紙)。カバンの中には表れないので構わなかろうと。
有彩色のもつ特殊性とメッセージ性が、どうも思わせぶりというか余計な自己表現というか、さらけ出すようで恥ずかしくなる。それならば主張は、白い、「私は白系を集めるタイプの人間です」ということだけで済ませたいと思ったのだ。有彩色が感情を表すみたいな謂れも、出る方にも入る方にも持ち物から伝播しそうで嫌だった。
冒頭には「これほど難解なものはない」と書いた。それは、白の程度の話。真っ白、というような白色は、マンセル値でいうとN9.5、CMYKなら0,0,0,0、RGBなら255,255,255、だ。無彩色。この無彩色の白、N9.5からN1の黒までの間には、いくつものグレー・灰色が存在している。難しいなと言ったのはそこで、わたしはどこまでを白と言い、わたしはどこからグレーと言うのか、みたいなところ。ちなみに日塗工(塗料を扱うときに、色の指定はここの指標を使う。日本塗料工業会)の色番号で言えば、わたしは単体で見たとき、N-90以上が「白だな」と感じるらしい。N-90、N-93、N-95、つまりはこの3つ。マンセル値で言うならN9.0以上ということだろう。ただ、だ。わたしの手帳は、白と言えるけれど、MDノートは、その基準だと白とは言えない。けれど、人に話すならば「表紙が白いノート」と言うし、「表紙がクリーム色の」とは言わない。
これはきっと相対的なもので、たとえば塗装色にしても面積によって濃さが違って見えるのだから、ありえる誤差と思ったっていいだろう。けれど、難解だ、と思った1番のところはその誤差ではなくて、私の「これは白と言っていいものであってほしい」「これは白と言いたい」という願望が色を決定づけることもある、あってしまうんだ、という身勝手さと無責任さに甘えてしまうその姿勢が、解き難いものとして居る。青信号には感じたことないな、緑なのに。ホワイトデーにも感じたことはないな、バレンタインの対概念なのに。

#白い #180314

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