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デザインは「今」だけでいいのか

以前も書きましたが、マーケティングの世界では、デザインは「コスト」でしか見られることはありません。マーケティングの世界では、コンテンツこそが「資産」であり、その蓄積が企業のブランドイメージの向上に繋がるという話をよく聞きます。それは正しいと思います。しかし、本当にそれだけでしょうか。コンテンツはデザインを必要とします。<img>要素すらなかったHTML1.0の頃のように、デザインそのものがほぼ不可能だった状態であれば、テキストの面白さのみが資産となるでしょう。ですが、今はCSSで文書構造を汚さずにデザインが可能な時代です。

多くのマーケティング施策の話を聞くことはあっても、その表現やデザイン手法について語られることは少なくなってきているように思います。しかし、よいコンテンツを提供するには、それにふさわしいデザインが必要であることは確かです。マーケティングの世界では「今どうするか」という命題のもとに動いていることが多く、実際にビジネスに直結しないと何も意味がありません。ただ、だからといって、今だけよければいい、コストを抑えることに成功すればいい、という流れは少し怖い気がします。

コンテンツの積み重ねが資産となるのは正しい考えだと思います。しかし、デザインもそうではないでしょうか。企業イメージや商品イメージに最適な表現がきちんと検証されていないまま世にでるものは、おそらく、さほど没入できるものにはなりえないと考えています。これも前に書いたことですが、「前にやっていたキャンペーン、デザインよかった」という声は実際にあります。しっかりと検証され、定義されたデザインはときどき心に刻み込まれていき、それを公開した企業や商品のイメージをつくります。それらの蓄積が、次への期待となり、資産となっていくのではないでしょうか。それは、デザイナーいち個人のポートフォリオの中でだけ存在するものではありません。それはユーザーにとって素晴らしい体験であり、企業やブランドの資産になり得ると思います。

ファッションの世界では、「アーカイヴ」というものが存在します。ラグジュアリーブランドやメゾンが長い年月の中で提案し続けてきたデザインは、すべて保管されています。新しく就任したアーティスティックディレクターは、そうしたアーカイヴを深く理解し、それらに敬意を払いつつ、「新しいスタイルとは何か」ということを考えます。アーカイヴは「流行遅れのゴミ」ではなく、ブランドやメゾンの歴史そのものです。もちろん、そこにあぐらをかくようなことは許されません。過去は現在と連続しているものとして捉え、アーティスティックディレクターはたゆまぬ努力を続けます。これは、デザインそのものが資産となっている顕著な例です。
また、付け加えるなら、アーカイヴは単なる過去ではなく、幾度か起こった革新や変化の記憶なのです。ラグジュアリーブランドが歴史を刻み続けることができるのは、過去と現在と未来を同時に見据えて、たゆまぬ努力を続けているからなのです。

こちらを呼びつけておきながら、ポートフォリオをろくに見もせず「かっこいいデザインなんてどうでもいいんですよねぇ」という「自称マーケッター」に多く会いました。しかし、彼らが自分の関わった仕事を振り返った時に、「コンバーションがいいから」「目立つから」「売れるはずだから」といった理由で、暑苦しいボタンばかりが画面を占領しているような、劣悪なUIの見苦しいサイトばかりだったとしたら、果たしてどう感じるのでしょうか。ここ数年、マーケティングはいささか「ブーム」のようになっている気がしてなりません。Flash全盛期の頃、何が何でもRIA一辺倒の無茶な提案の企画書が飛び交った頃と同じ違和感を感じます。本物のマーケッターが信頼と実績とブランド価値を着々と獲得して行く一方で、Web雑誌が急にマーケティングに舵を切り始めたあたりに「これからはすぐ売れるマーケだ!」と言い始めた手合いの人たちに、10年ぐらい後に「ところで、あなたは何をしてきたのですか?」と聞いてみたいものです。

Webフォントサービスを片っ端から試してみたいですし、オンスクリーン組版ももっと探求していきたいです。もしサポートいただけるのでしたら、主にそのための費用とさせていただくつもりです。