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で、デザイン思考はそう特別なものじゃないはず

わたくしが「デザイン思考」を知ったのはずいぶん前です。こういうワードは、いわゆる「意識高い系」な感じがしてアレだなぁとも思ったりしたのですが、デザイナーがデザインを実行する上で、ごく当たり前の行動じゃないかと理解しています。

わたくしの話で申し訳ないのですが、デザインする上でまずアイデアは拡散していって、若干とっちらかったりすると「めんどくさいなぁ...」となるものですが、とりあえず少しとっちらかった状態になったままタタキ台を作り、バリエーションを展開します。とっちらかった状態のときに、「あれっ、これアリなのかもしれない」と思うことがあるので、「アリなもの」が複数ある場合は、それぞれクライアントさんに見せることが多いです。異なる要素を備えたいくつかの案を選んでいただくのですが、却下された要素が、実はのちのち「これもちょっとは必要なものではないか」となることもあるので、アイデアを拡散していくことはそう無駄ではないと考えています。もちろん、タタキ台作ってみたら「ないわー」ってこともあります。そのタタキ台のベースや論拠となるのは「どういう人のためにデザインするか」であったり、「クライアントの「らしさ」的な姿勢をどう落とし込むか」であったり、いろいろです。

案件が進むにつれて拡散から収束していく作業に移るのですが、それは削っていく作業とは限らず、実は異なるものをうまくまとめあげる作業だったりします。その途中で問題を解決していくのですが、そこで達成というよりも、「さらに次到達するとこはもうちょっと上なんじゃないかな」と考え、作業を進めます。いわゆる反復です。途中で「実はこういう問題や事情もありまして」ということもよくありますが、そういった時にも案を出し、その案の積み重ねと、破綻なくまとめあげる作業がデザインのプロセスだと思っています。いっぺん「ないかも」と思った案が、実は途中で見えてくる問題に対処できる案だったりするので、拡散しておくのも割と大事かなぁと思っています。キツいですが...。デザインすることはある程度分類していく作業という側面もありますが、異なる要素をどう破綻なくまとめていくか、という側面もあります。というより、刻々と状況は変わるので、異なる要求や要素をまとめあげるために、概念をアップデートしていきつつ対応していかないと、価値のないものが出来上がってしまったりします。

「デザイン思考」というとなんだか大げさですが、デザインする上でごく自然な知的活動だとわたくしは考えております。なので、「ビジネスに効く!」だとか、「いま話題の!」だとか、「イノベーションに欠かせない!」だとか、そういう感じの捉えられ方はアレだな〜、って思っています。結果ありきで恣意的に「データ」を後付けで繋いでいくような御都合主義の似非マーケティングと同じぐらいアレだな〜、と思っています。
別に誰かを非難したいわけではなくって、デザインにせよマーケにせよ、「それは本当にそうか」とか「実像と乖離してないか」とか、ある程度批判的というか、懐疑的な姿勢も必要だなぁと思っております。

まあその、わたくしは意識高くないので、こんな感じです。

Webフォントサービスを片っ端から試してみたいですし、オンスクリーン組版ももっと探求していきたいです。もしサポートいただけるのでしたら、主にそのための費用とさせていただくつもりです。