見出し画像

私の"人生"が最近変わった話

「結果を求めれば求めるほど、頑張ろうとすればするほど出来なくなる」ことについて、数日前にnoteを投稿した。(「結果を求めないで」|らぶ|note

このnoteは結局、自分では結論が出せなかった。
それで、おさーんに聞いてみた。
「私はどうすればいいんやろう?一生求めてるものから遠ざかってしまう人生なんやろか」

そこで、すごい進歩したので考察結果をここにまとめる。

【以前までの私】

「無理難題をこなし、困難なことを打破していくのが人生」だと疑いなく、思い込んでいた。

例)高すぎる目標を設置し、達成できないことによく絶望した
(-"-)「自分の頑張りが足りないからできないんだ。」
(-"-)「目標を達成できない自分は"できない人間"なんだ。現に何もやり遂げられないじゃないか」
こう思っていたことによって、起こっていた弊害⇒自己嫌悪でいっぱいになって、文字が読めなくてパニックになるさらに自分は何か学習障害があるんじゃないかと疑い始める

なぜ私は、こんな風にしんどい考え方を身に付けて大人になってしまったんだろう?

原因①「母親の精神的虐待」

おさーんの回答「らぶの母親が行う目標設定は、一見まともなこと言ってるように見えるけど、無理な目標設定にして子供に結果を出させないことで虐待する理由にしていた。なぜなら、娘に対してルサンチマンを感じていたから。らぶの人生がうまくいくことが許せなかった。

 ママは、一つのことが達成できても、褒めないためにさらに目標を高いところにわざと設置し続けた。私を痛めつけ、攻撃の対象にするため。

例)水泳教室に通ってる➡オリンピック選手になりたいとコーチに直談判してこい
塾に通ってる➡医学部に入ることを約束しろ
これらのことができなかった場合「できないお前は怠けているんだ」「お前の努力が足りないんだ」「やる気がないんだ」

昔からママに要求されたスピードは、人間が奇跡的にこなせるぐらいのスピードで、設定された目標も「ママが私を痛めつけるため」の目標であったから到底実現する価値は無いものだった。

ママの要求がのめなくて、実現できなくて苦しんでる昔の私にこうやってちゃんと説明してあげたいなってめちゃくちゃ思った。

原因②「創価学会の影響」

昔から、座談会や中継で見せられるDVDや聞かされる体験談は、全部「血反吐をはいて頑張れば、不可能を可能にできる」系やった。

例)父親の会社が倒産しました。暴力を振るったりアル中の父親。病気で家族が倒れた。借金ですべて差し押さえられた。うつ病の旦那or母親
 !(^^)!「それでも、頑張って難関大に合格しました。題目を何千時間もあげつづけることで、自分の仏の魂が家族を救いました。今は不可能だと思うこともきっとやり遂げられる」

こんな追い込み方をしたら、人は破滅するし、際限なく苦しめられる。

この人たちは血反吐をはいて、不可能を可能にしたのではなく、ただ「自分のできることをやった」だけ

★創価学会でありがちな体験談を例に考えてみる

売れない芸人が死ぬほど貧乏を何十年もやって、やっと売れた
 体験談⇒その人にとって何年も貧乏に耐えることが「できること」やったから、できた
 私の場合の「できること」➡先輩芸人に媚び売りまくる。早々に芸人を2年ぐらいであきらめる。

酒乱の夫を支えて、題目をあげつづけた
 体験談⇒酒乱の夫に耐えることが「できる」人やった。何千時間も題目をあげつづけられる人やった。
 私の場合の「できること」➡女性保護施設に子どもと一緒に駆け込む。題目はあげられへん。10分で足しびれるもん。

こんな感じで、私には私のできることをやっていけばいいねん。

「無理難題をこなし、困難を打破することが人生」

↓ではなく

「私ができることをこなしていく」
できひんことはできひんねん。
だってできひんのやから(笑)

頑張るとは、血反吐をはいて努力することを意味するのではなく、

私ができることをバンバンこなしていくことなんや

サポートして頂けると、これからも頑張れます。