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私が虐待されてた話①

私は、18歳で児童相談所に保護されるまで、家庭内で精神的、肉体的に虐待を受けていた。

家族は父と母、私より5歳下の妹、5歳下の弟、そしておばあちゃん(ママのお母さん)と暮らしていた。18歳の当時、私は高校三年生、妹は中学一年生、弟は小学五年生だった。

ママは私が物心ついたときから解離性人格障害で、その発作の恐ろしさから家族全員がマインドコントロールされていた。

こんなに貧乏なのも、暴力を振るわれるのも、苦しむのも全部自分たちが悪いんだと。何時間も正座させられ、夜は眠れない日が多かった。

ママに逆らうと、ママの発作が出て、人格が変わって暴れてしまうから従うしかなかった。従わずに逃げようとすると、どこまでもママの気が済むまで追いかけてくる。誰かひとりが逃げたら、他の子たちが犠牲になる。だから誰も逃げられなかった。

でも、ママは看護師で収入も安定していて、一見すれは普通の人だったから、周りの人間は気づかなかった。異常者だって。そのうえ戸建てで6人暮らしという閉鎖的な環境だったから、私自身もそれが当たり前なんだと思って暮らしてきた。

このノートは、私自身のリハビリも兼ねて書き記す。

私は0歳から5歳まで、団地でママとパパと暮らしていた。

パパはお昼ほとんど仕事でいなくて、夜に帰ってくる。いつも家にいるのはママだった。

死ぬほど怖かったのを覚えている。

1人で心細かった。殺されるかと思った。

2,3歳ぐらいの子どもが、ママに殴られて、殴られるだけじゃなくって、いろんな物を投げつけられる。

ママが鬼のような形相で私にらみつけて、殴ってくる。

子どもにとってはママしかいなくて、その部屋しか世界がない。

そこは、地獄である。永遠と続く地獄。いつ終わるのか、そもそも今日で自分の人生が終わってしまうんじゃないかって、そんな瀬戸際で毎日居た。

怒られる理由は、大抵私が食べ物を床に落としてしまう、大きな声で遊んでしまうということだった。

ママがキレた瞬間は雰囲気でわかる。お母さんがキレちゃったって思ったときには大抵手遅れだった。

「もうこれから一切のお前のことはせんから。」と言われ、お母さんは大きな音を立てながら家事をする。その物音のひとつひとつに私はビクッと肩を震わせた。

4.5歳の私はママの前で正座して「ママごめんなさい」という。けど何も答えてくれない。大きな声で言うけど「うるさい!」と言って何も聞いてくれない。

次第にママは「お前がこんなことするけん、ママは何にもできんかったやんか。全部らぶちゃんが悪い。ほんまに腹立つわ。どっか行け。別の家の子になればいい」など言い始める。

ママは次第にその声がだんだん大きくなり、物に当たり始める。お皿、おもちゃ、いろんな物を床に思いっきり投げつける。怖くてもはや謝罪することができない。

私の持ち物を手にしながら「こんなものも全部いらんな」と言われる。許してもらえるためなら私は何でも差し出すから「はい」と答える。ゴミ箱に保育園に行く用のバッグなどが捨てられる。ゴミの袋を結ばれる。

でも本当は悲しくてたまらなかった。明日から私は保育園にいけないんだ。私は他の子と違って異常で悪い子だから、みんなと一緒になれない。全部私が悪い。そういう考えで頭がいっぱいだった。

「『はい』っていうぐらいなら、今まで保育園に行っていたんは何だったんや!!なんのためにお前を保育園に今まで行かせたと思ってるんや!!どうして普通の子みたいにできひんの!!」

そういいながらだんだんヒートアップしていく。家の中のものをほとんどひっくり返していた。

ママは「あんたは、なんで!」そう言いながら、私の髪の毛を掴み上げ、私の顔を殴りやすいようにして「なんで、こんなこともできひんの!」「ママのことをどれだけ傷つけたら気が済むの!!」と言いながら、何度も何度も私をしばき上げる。

怖くて、怖くて「ごめんなさい。ごめんなさい。許してください。」と言いながら、手で頭を顔を庇った。その手をママは、すごい力で振り払た。

「逃げるな」という一言を必死に私は守るために、反射的に庇ってしまう自分の手の言うことを聞かせた。

殴られなきゃ、ママに殴ってもらわなきゃ、私は殴られなきゃいけないんだ。そうしないと許してもらえない。私が悪いから。

ここまでの話が、私とママだけの空間で行われていた。死ぬほど怖かった。

3~5歳の子どもとこんな異常者がおんなじ空間にいること自体が、恐ろしいことだったなって今は思う。

私はこのころから、頭をフルに回転させ「どうやったら許してもらえるか」に全神経を注ぐようになっていて、他の子と比べて変に頭がいい子どもだった。

殴るだけ殴って家の中のものを一通りひっくり返したママに私は「ママ、私はどうしたら許してもらえますか」と言うと、ママは

「とにかくばあちゃんを呼べ」とだけ私に言い渡す。

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