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トワイライト

 回送電車を見送るホームで、好きなバンドのメロディは疲れた体のはるか上空を通り過ぎた。ベースとドラムの振動だけが耳から骨髄を伝って、地面と爪先の間で行き場をなくしている。
 思い返せば一年生の春にもこんな日があった気がする。上京したばかりの知らない街と新しい人間関係の中で、愛想笑いと気まずさの残る沈黙を繰り返す。そんな一日の終わりは、すり減った心のカスみたいなものが胸の辺りにしんしんと降り積もって、スマホをいじる指先が微かに痺れた。
 あの頃は「かっこいい男子いた?」とか「好きなタイプは?」とかよく聞かれたものだった。わたしには、そういう気持ちがわからない。好きな外見とか好きなタイプとか、人を勝手に分類してなんなんだ。その人はその人でしかないのに。別に他の人がそうやって誰かを見ることを理解できないわけじゃない。でもわたしは世界をそんなふうに見るレンズを持ち合わせていない。

 夕方にしては冷たい風をマスク越しに受け止めながら帰路に着く。この街で秋を迎えるのも三回目だ。今年は十月に入った途端、示し合わせたように金木犀の香りが漂い始めた。すれ違う人たちも色味の深いコートに身を包んでいる。アパートの階段を上り、上着のポケットから鍵を取り出して滑りの悪くなった鍵穴に通す。空気が乾燥し始めたからか、何度かガチャガチャと鍵を回さなければならない。ドアを引くと、午前中に母が受け取ったのだろう、大きな段ボールが玄関を占拠していた。青森の祖母からだ。靴を脱いで台所まで引きずっていく。中身を開けるとリンゴの甘い香りがダンボールの周りを包み込む。早生種の「つがる」と「きおう」だ。リンゴを緑の発泡スチロールごと取り出すと、角のほうにさし挟んであった白い封筒がパタリと落ちた。中身は5万円と直筆の手紙。

 小春へ
 元気ですか。こちらは病気もなく過ごしています。コロナでなかなか会えないけれど、また顔を見せにきてくださいね。
 おばあちゃんより

 優しくて温かみのある懐かしい字。両親が共働きで忙しかったわたしは、祖母に育てられた。「ストレス解消」と言って祖母が食べるおかきを横から貰うのが好きだった。祖母が来られない日は、母親から買い与えられた120色の色鉛筆を立てて並べては一本ずつ倒して遊んだ。
 懐かしさに駆られて、祖母に電話をかける。何コールかのちに「はい、徳永です」とかしこまった声がした。
「もしもし、おばあちゃん。わたしだよ、小春。リンゴとお金ありがとうね。」
「ああ、小春。元気がね?」枯れた泉に優しい雨が降るみたいに、柔らかな津軽弁が胸の奥でじんわりと滲む。
「うん、元気だよ。おばあちゃんは最近どうしてる? ちゃんと食べてる?」
「ちゃんと食っちゅ。もう年寄りだはんであまり出掛げねようにすてらげどね」
「そっか。早く会いたいね」
「それはそうど、彼氏はでぎだのがい?」
 言葉に詰まった。声を絞り出すようにして答える。
「……半年前に別れた」
「そうがすぺが、そったごともある。気にすねで」
「うん。じゃあ晩ご飯作らないといけないから切るね。また電話する」
「どうもね。小春の声聞げて嬉すくてあった」
「じゃあね、ばいばい」
 湧き始めていた泉から一気に水が引いたような、空虚さがあった。わかっている。わかっているけれど。祖母は昔からわたしの花嫁姿が見たいと口癖のように言っていた。その祖母の期待に私は応えられない。あんなによくしてくれたのに。

 自分の指向に気がつき始めた中学生の頃、たまにノートに誰にも言えない思いを書き出していた。その頃のノートには、先生や親の悪口の他に「自分だけ何かが変なんじゃないか」「人として大事な何かが欠落しているんじゃないか」といった自分に対する不安がびっしりと綴られている。正月の親戚の集まりで「小春ちゃんは彼氏とかいないの?」「結婚しないと女の子は大変よ」「シングルマザーなんかなったらダメ。子供のためにも何があっても離婚だけはしないことね」などと好き放題言ってきた叔母さんへの愚痴もあった。高校生に上がってからもしばらくその習慣は続いていた。知り合ったばかりの子に「誰かを好きになったことがない」と言うと「またまたそんなこと言って、誰かしらいるでしょ? 気になる人とか」とからかい口調で言われて嫌だったと書いた記憶がある。
 他人の恋バナを聞くのは好きだったので、仲良しグループの会話ではいつでも聞き役に回った。「小春は誰か気になる人とかいないの?」と聞かれたら「私あんまり人のこと好きにならないんだよね」と言ってごまかした。ネットサーフィンしまくって探し出した、好きでもない無名の舞台俳優の話をするのは意外にも有効だった。他に詳しい子がいないので、その話で必要以上に盛り上がることもない。その場をやり過ごすだけならこれで十分だ。
 そう、友達との会話ならそれでよかった。でも家族に対する後ろめたさは消えなかった。大学を卒業するまでに、どこかのタイミングで言わなくちゃいけない。私は異性も同性も恋愛対象として見ることができません。私には恋愛感情がありません。父と母は理解してくれるだろうか。祖母は悲しまないだろうか。

 高校をやり過ごして、大学ではジェンダーについて勉強できる講義を積極的にとるようにした。高校に比べて大学は何となく「開かれて」いた。人数が多いことも都会にあることも要因のひとつだろうが、とにかく自由で縛られていない。サークルには入らず、図書館で本を読むことに没頭した。多い時で週に5冊は読んでいただろうか。とにかく気になった本は片っ端から読んだ。高校までと違い、文庫から新書、専門書まで充実した図書館はあまりに魅力的で、全休の日などは一日中入り浸ることもあった。
 そういえば、あれは入学式を終えたばかりのまだ肌寒い四月のことだった。気に入りのトレンチコートを着ていたことを覚えている。後ろの部分がチェックのプリーツになっているのだ。
 一般教養にジェンダーの名を冠した講義があった。事前にアンケートを取り、履修者を決定するらしい。少し心配したが履修登録に漏れることはなく、15人ほどの履修者を抱えて講義は小さめの教室で行われた。チャイムが鳴り、先生が入ってくる。白い肌を白衣が覆い、それと対比的な黒髪が肩の上で揺れている。ハキハキとした声で自己紹介を終えると、一呼吸置いて今度はゆっくりと話し始めた。
 「例年のことですが、この講義にはセクシャルマイノリティの人も何人か参加してくれていますね。貴方たちに一つだけ言いたいことがあります。自分のセクシュアリティを家族や周りの人に言えないことに罪悪感や自責の念を覚える必要はありません。恋愛っていうのはすごくプライベートなことです。みんなそれぞれ言えないことがあったり秘密にしたりするものです。無理にカミングアウトすることもないんです。自分の気持ちを認めて受け入れることの方がよっぽど大事で素晴らしいことなんです。それを忘れないで」
 その言葉に、涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で我慢した。隣を見ると、彼か彼女かわからない誰かの頬に、静かに雫が伝っていた。

 ガチャガチャと玄関の鍵が回る音で我に帰った。枯れた泉にこんこんと地下水が湧き出すのを感じる。今でもあの講義のことを思い出すと、その度に救われる。胸に光が宿る思いがするのだ。
 「ただいまー」と母が玄関のドアを開けて入ってくる。台所のスイッチが押されて、すっかり暗くなっていた室内に光が満ちた。眩しくて目がチカチカする。
 「あんた、そんなところに座って何してるの、電気もつけないで」
 「何でもない。リンゴ届いたからおばあちゃんに電話してたの」
 「そう、カーテン閉めなさい。外から丸見えよ」
 立ち上がって窓際に向かう。何となく窓を開けると金木犀の香りが夜風に乗って流れ込んできた。もうそんな季節かと肺いっぱいに大きく息を吸い込んでみる。ゆっくりと吐き出すと、胸の奥に溜まっていたものがふっと溶けだして夜に返っていった。

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