個人的に選ぶアビスパ以外の試合ベスト15 第8〜6位
ルールは、生中継で観た試合限定で、アラサーの自分がしっかり覚えている試合のみ。
ほとんどがアビスパと同じぐらい大好きな日本代表絡みの試合です。
今回は第8〜6位。
第8位「1998年フランスW杯・アルゼンチン戦」
ハイライト動画です。
ジョホールバルの歓喜を経て、1998年6月14日、岡田武史監督率いる日本代表は初めてW杯の本大会という舞台に立つことができました。
グループリーグ初戦の相手はいきなり、優勝候補の一角・アルゼンチン。
バティストゥータに許した得点が決勝点となり、0-1。惜敗と呼べる結果ですが、内容ではスコア以上の差を感じました。
しかしこの試合は結果よりも、何度挑んでも阻まれていたW杯に日本代表が参加しているということ。
その事実にどこか不思議な感覚があり、試合前に君が代が流れた時点で早くも感動していました。
続くクロアチア戦も0-1、ジャマイカ戦では中山雅史によって日本のW杯初ゴールが生まれるも1-2。
初めてのW杯は3戦3敗で終わってしまいましたが、この舞台での経験は大きな成長に繋がり、この初出場から日本代表はW杯6大会連続出場。その記録は現在も継続中です。
第7位「2005年コンフェデ杯・ブラジル戦」
ハイライト動画です。
2004年のアジアカップを制したジーコジャパンは翌年のコンフェデ杯の出場権を獲得、参戦しました。
グループリーグ初戦でメキシコに敗戦、2戦目はギリシャに勝利。グループリーグ突破をかけて3戦目に挑んだ日本代表の前に、ブラジルが立ちはだかりました。
決勝トーナメントに進出するためにはブラジルに勝たなければならないという極めて厳しい状況のなか行われた一戦は、フル代表のブラジル戦の中で相手を最も苦しめたものとなるのです。
下馬評では圧倒的にブラジル有利のなか、開始早々の前半4分、スルーパスに抜け出すSB加地。そしてGKとの一対一も制してネットを揺らす!
…も、オフサイドの判定。ただ、リプレイを見るとギリギリですがオンサイドでした。この得点が幻となってしまったことが本当に残念でなりません。
チャンスのあとにはピンチあり。10分にロナウジーニョのアシストからロビーニョに先制点を許し0-1。
厳しい流れのなか27分、世界を驚かせたのは中村俊輔でした。
パスを受けて前を向いた瞬間に放った弾丸ミドルシュートはGKマルコスの手を弾いてゴール。これで1-1。
しかしさすがはブラジル。32分にロナウジーニョに決められ、再びリードを許します。
残り時間も少なくなった88分、ゴール前でFKのチャンスを得た日本代表。キッカーはもちろん中村俊輔。GKが一歩も動けない完璧なキックでしたがポストに直撃し跳ね返ります。これに詰めたのは大黒!
土壇場で2-2に追い付くと、終了間際にも大黒に決定機が訪れますが惜しくも防がれてしまい試合終了。
残念ながら得失点差でグループリーグ敗退となってしまいましたが、本気のブラジルに対しても守備的にならずガチンコで渡り合っての2-2という結果は非常にワクワクするものでした。
第6位「2004年アジアカップ・ヨルダン戦」
試合のハイライトはこちら。
PK戦のみの長尺のハイライトはこちら。
2004年、中国で行われたアジアカップ。
同時期に日中関係が悪化していたため、日本代表には厳しい環境での試合となってしまいました。そもそもスポーツの世界に政治の事柄を持ち込むことは言語道断なのですが。
中国人は常に日本の対戦相手を応援し、国歌斉唱時には大ブーイング、日本代表のサポーターに物が投げつけられる等、完全に逆境のなかグループリーグを1位で突破して迎えたのが準々決勝でのヨルダン戦。この試合が、まさに死闘と呼ぶべき一戦となったのでありました。
前半11分に失点。14分にすぐさま鈴木隆行が決めて追い付きましたが、チャンスもピンチもある展開ながらどちらにも得点は生まれず。
1-1のまま90分を終え、延長戦も終えて勝負の行方はPK戦に委ねられることとなりました。
先行の日本。1人目のキッカーはこの大会大活躍の中村俊輔。が、ボールはまさかの、枠の遥か上を超えていきます。
2人目の三都主のキックも同じように完全に枠の上。
左利きの2人がキックの瞬間に軸足を置く部分の芝が、大きくめくれ上がってしまっていたことが原因でした。
これを見かねた主将の宮本恒靖が主審に英語で「This is not fair」と抗議。
非常に異例なことですが、これを主審が聞き入れここから反対側のサイドでのPK戦となります。
それでも流れは変わらず、3人目までお互い成功しこの時点で1-3。
残る2人ずつのうち、日本が1人でも外すかヨルダンが1人でも決めるとヨルダンの勝利、という極めて厳しい状況に陥ります。
ただ、ここからGK川口能活が奇跡を起こすのです。
日本の4人目が決めて迎えたヨルダンの4人目。枠内シュートに対して片手でボールを弾き、そのボールがクロスバーに当たって外れます。日本の5人目も決めてなんとか望みを繋ぎました。
ヨルダンの5人目はプレッシャーに負けたのか枠を外し、サドンデスに突入。
しかし、日本の6人目が止められ、再び絶体絶命に。ヨルダンの6人目のキック。川口は先程とは逆方向に飛び、またも片手に当てボールはクロスバーに当たって跳ね返りました。
漫画や小説で書いても失笑されそうなことが現実となり、勝負の行方は7人目に。
日本のキッカー、宮本恒靖が決め、初めてリードを奪います。
そしてヨルダンの7人目のキックがポストに当たり跳ね返った瞬間、日本代表のイレブンは川口のもとに一直線。
この激戦を制した日本代表はその後も勝ち進み、決勝では開催国・中国を3-1で倒し、逆境に打ち勝って2000年大会に続くアジアカップ連覇を果たしたのでした。
この試合のPK戦の動画は10回以上観ていますが、今回書くにあたって改めて観てもまた泣きそうになりました(笑)
それくらいに大興奮した試合です。
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