デザインの敗北

デザインの敗北、と呼ばれる何かがある。何年か前の「テプラを貼られたらデザイナーとして負けだよね」という有名デザイナーの誰かの言葉が元ネタだっただろうか。とにかく、そういう考えがある。

しかし、敗北したデザインはそもそもデザインと呼べるのだろうか。

デザインというのは普通、何らかの目的の為に一定の機能を持っているものだ。ピクトグラムであれば、ある情報を言語に頼らず直観的に伝えるという目的の下、それを象徴する記号を表示しているし、エルゴノミクスキーボードなら、使用者を疲労させないために腕が自然な状態に保てるような形をしている。それがもし、伝えたい内容を全く表していないピクトグラムがあれば、それはもはやピクトグラムとして成立していないし、無茶な姿勢を取らせるキーボードはエルゴノミクスキーボードではない。

デザインの敗北、と呼ばれるものはその多くが使用者のいるプロダクトであり、「見てくれはよいが、使い勝手がダメ」だとか「小奇麗だけどまるでわかりにくい」といったものだ。しかし、使用者のためにデザインされたプロダクトが、使用者にとってわかりにくかったり、使いにくかったりしたら、それはもう使用者のためのデザインとしては成立していないのではないか。だから僕は、「敗北しているデザインはデザインではない」という立場を取る。もちろん、多くの人に使用される中でただの一度も敗北しないデザインを創り出すなんていうのはきっと不可能だろうと思うけれども、デザインというものを意識する上で、目的を達成する機能性こそがその一番大事なところであると信じているから。

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