ゲーム・オブ・スローンズS8ep4感想(ブライエニーとかサーセイとか。ネタバレあり)

(ふせったーに書き散らかしてたやつです)

-----

海外ツイッターでみんな何時間もブライエニーとジェイミーの話をしてたというあれ。

ブライエニーかわいそう、ジェイミーどうせ棄てるならセックスすんなや、プラトニックなままの方が良かった、等々の感想を読んだんだけど違う、ちがうんだ!(たぶん)
ブライエニーは全部知っていた、ジェイミーの過去やサーセイの呪いや業の深さを。それでもなお、この人のもっと近くに、側に寄りたいと願った。すべて許して受け入れる覚悟があった。

そのブライエニーにあまりに高潔な魂に触れて、ジェイミーはひしひしと己の過去の行いが許せなくなってしまったんではないか。
ブライエニーは単に元カノのもとに戻るジェイミーに泣いた女じゃない、剣でも愛でも取り戻すことができない、やり直すことができない、運命や宿業のようなもの、己の力の及ばぬ怖ろしいものに、ひたすら打ちのめされたんだと思う。ブライエニーはセックスごときで変わるような簡単な女ではない。

そしてサーセイ。
私はこの人をどうしても嫌いになれない。あまりに愚かで哀れで美しい女だから。
彼女のヴィランぶりがラムジーやジェフリーと一線を画しているのは、その根底にあるのが常に「the things we do for love」だからだ。

彼女はひたすら愛を求めていた。親から、夫から、子どもたちから、そして自分自身から。
タイウィン・ラニスターがもっとまともな父親だったら、そしてティリオンを産んだあと母親が死なずその愛を受けて育ったら、きっとサーセイは全然違う人間になっていただろう。
ロバート・バラシオンがサーセイを一人の人間として尊重し、妻として受け入れたなら、初夜に他の女の名前を呼んだりしなかったら、サーセイはきっと良き妻良き母として一生を終えたかも知れない。

そんな中で、彼女を彼女のまま愛したのは兄であるジェイミーだけだったのだろう。しかし一方でサーセイはジェイミーのことはさして愛していなかったのではないかと思う。(愛した瞬間はあったかもしれないけど)。
サーセイは自分が男だったら得られるはずだった家名、栄誉、賞賛、父親からの信頼、誇らしい自分自身、そういった夢をジェイミーを通して見ていた、一時だけ奪ったような幻想を抱いたにすぎなかったのはないか。
そして近親相姦によってインモラルな子どもたち三人産むわけだけれど、これは間違いなく自分を選ばなかったラニスター家や夫に対する復讐であり、果たせなかった夢を載せ替え叶えさせるための器だ。

しかし子どもたちは無情にも全員死んでしまう。
父も、子供たちも死に、兄は自分の元を去って本物の愛を得た。よりによって生き延びたのは母を奪ったティリオンだけ。サーセイが求めた、かつて愛だったらしきものはすべて失われて、彼女の欲望はますますこじれる。

今のサーセイも、自身が欲しかった何もかもを失ったのは薄々気付いているのだろう。でもそれを認めることはできない。それと認めるのはあまりに哀れで、自身の存在意義を何もかも否定することになってしまう。そんな無残な生き方は許せない。なぜならそれは敗北だから。
サーセイは自分の命と野望を繋ぐように子供を孕む。それしか戦う意味がないし、自身を正当化し、生き存える方法がない。彼女の母としての愛だけは何よりも本物だったから、彼女自身ですらそれに縋るしかないのかもしれない。

ゲースロはマイノリティに焦点をあてた話であるというのはよく言われるけれど、ここまで書いてきて、サーセイの苦悩や哀しみの元凶、彼女が「女」だったことことが、壮大な大河群像劇の最後、ラスボスの底辺に流れていること、それを持ってくる脚本の思惑になかなか唸るものがある。

ジョン・スノウやシオン、デナーリスのように、ルーツを奪われた人々は他にもいるが、彼らはエダートの愛情を受けて育てられているし、デナーリスは誠実な良き夫を得て、戦うことができた。
けれどサーセイには誰もいない。剣を持つこともできず、ドラゴンもない。

「少女が心を休まる場所なんてどこにもない」と言ったサーセイ。
あまりに悲しいこの女性が、どうやったら救われるのか私には全然わからない。(救われる必要なんてないのかもしれないけれど)。

しかしここまでサーセイについて熱量のある文章を書いてしまって私が一番吃驚している。ひょっとしてわたしの最推しだったのかサーセイ。
できれば今度こそ、お腹の子が生き存えて欲しい。母としての望みと喜びを果たせて死ねたら良い。美しい貴女の最期がそうであったらいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?