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2004年の台風

 近年、異常とも思われる気象状況。まずこの先どこまで気温があがるのかこの夏の猛暑、そして局地的な大雨による水害被害、その中でも私が最もトラウマとなっているのは台風。ここ近年但馬は台風のコースがうまくズレて何とか被害を免れているが、今月(平成30年7月現在)の至上最大級の大雨は洪水は免れたものの、避難を余儀なくされる事態。
 まずは現在も被災されておられる方の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

 ここ兵庫県但馬地方も2004年10月の台風23号の猛威は私達の住む街にも大きな被害をもたらせた。 その10日くらい前の台風22号の襲来は報道でもかなり強い勢力をもっていると聞いたので、なぜか事務所のパソコンや重要書類を2階へ移動。嫁さんも避難用の必要なものを鞄に詰めた。遅くまでテレビのニュースにかじりついて、結局翌日になってみれば何も無かった様な晴天、やっぱり大げさだったかな…、と思いつつ2階からパソコンを降ろしていると親友のH氏がやってきた。「何やってるの?」話をすると「大げさやわ!水が付く訳ない」と大声で笑われる始末、みんな今までに経験してないから笑える事であって、無論私も恥ずかしい思いをしたという事は、彼と同じ気持ちなのかな。 ただその後10月19日のその日に関しては、そうではなかった。何日か前から雨が降り続き、そこへ来ての台風23号の襲来だけに何か異様な雰囲気がしたと言うか、但馬地方の中心を流れる円山川の水位が上昇してきている様子、私の事務所の前の溝も徐々に水も多く流れも増して来た。何人かお客さんが訪れたが、気になって仕事が手につかない様子。でも、やっぱりこんな大惨事になる事は、私も含めて誰一人思ってもいなかったと思う。風も強くなり向かいのトタン板の壁が一部大きな音をたててめくれ上がった。家の前の溝は水が溢れ出し、これはいつもと違うぞ…。豊岡市の各戸に設置されている防災無線は朝から円山川の水位を知らせ、避難という言葉もすこしづつ出始めてきた。落ち着かないので夕方5時に仕事を早じまいして居間でニュースを見ている時、嫁さんの「先にお風呂でも入ってくる?」の言葉に何故かそんな時間があるのか?と考えた自分は何だったのか。だんだん防災無線が頻繁に放送されるようになって来た。また嫁さんの実家からも心配の電話が30分おきに、私は事務所のパソコンや重要書類を2階へ運び、嫁さんは前回の避難用の鞄がそのままだったので以外とスムーズな準備だった。この頃子どもはまだ幼稚園だった。とりあえず夕食をとって様子を伺っていると、とうとう第1回目の警報のサイレンがけたたましく鳴り響く。すごい音。避難勧告です。豊岡市内の避難場所も指示されましたとりあえず私達は嫁さんの実家に避難することにした。そこは少し高台になるので昔から水害の被害をまったく受けない場所だった。 念のために友人に近辺の避難場所確認すると「避難するんですか?大げさですよ」とのT氏の回答、私達は逃げるよ。 2回目の警報のサイレンがまたけたたましく鳴り響く。実家からまた心配の電話、嫁さんもさすがに「そんな何回も電話してきたらこっちは避難の準備ができない、とりあえず家から出ます!」と電話を切って、私達は大雨と風の中、ありったけの荷物を軽自動車に積んで家を脱出。ところが実家に向かう道はすでに冠水、迂回してとりあえず市街地へ向かった。ところが市街地メインの大開通りはすでに水に浸かっており、なんとか水がタイヤすれすれの状態で駅前までたどり着いたが、遥か向うに見える実家に続くバイパスの橋は風がビュンビュン吹いて揺れているように見えた。ふと駅前のアイティという7階建てのショッピングビルを目にして、急いで駆け込んだ。そこの7階は豊岡市の管理で、運良く緊急避難場所になったばかりだった。 そこにはすでに避難の人でいっぱい、でもそこは煙草やジュースの自販機もあり、暖房もきいていたので天国だった。テレビも放映されて皆さんテレビに釘付け。8時か9時くらいに円山川が決壊のニュース。私達の地区はもう浸水で浸かっている事間違い無い。

 しばらくは帰れそうにない。頭は真っ白。避難所では郵便局に勤めていた人と、もう一人このビルの1階でパン屋に努める若い子と仲良くなり3人でずっと話をしていた。彼は明日朝ここに避難している人達の為にパンを焼くと仕事場へ戻ると言うので、煙草が無いと言っていたので予備にもっていた1箱を彼にあげた。彼はすごい! 次の朝、屋上から外の風景を見ると何とも声も出ない。あたり一面街は海の様。自分達の家の方を見てみると水以外なにも見えず、嫁さんがあそこは日本海?と聞いたので、「そんなアホな海にしては近すぎるわ」。でも確かに海の様だった。 近所の友人から連絡があり、彼は何とか私達の地区の側まで行ってみたそうだが、1階は完全に浸水していると言う事、ぞっとした。 ようやく家に帰ったのは3日目の事、家の近くまでくると何とも言えぬ異様な風景、道は赤茶けた泥でいっぱい。ドキドキしながら家の玄関を開けると、「なんだこれ」家の中は泥だらけの上、家具や冷蔵庫・洗濯機・テレビがすべて傾いたり倒れたり、生まれて初めて体験した風景だった。浸水は地上から計測すると私の身長164cmはすっぽり浸かり、家の中だったら何とか肩が出るくらいかな…? とりあえずは何から手をつけてよいやら、住む事もできずとりあえず実家に避難し、子供を預けて毎日日課の様に家の修復に、身内や知り合いに沢山手伝ってもらった。ようやく建築会社も入り一ヶ月間かけて修復も完了。 世間が落ち着いた頃にいろんな人達とする話と言えば台風の事。でもこれまで台風で大きな被害が無かったこの豊岡市で避難した世帯は少なかった様で、みんな一階が水に浸かったのを見下ろしながら水の引くのを待っていたらしい。前回の台風の時におおげさだと言った親友と避難場所を訪ねた友人は落ち着いた頃に謝りに来た。
 確かに経験や土地勘というのは状況を判断する上で重要なデータだと思う。でも異常気象が続く現在では、危ないと感じたら自分の意志で行動を判断する、人がやってないからとか、固定観念にとらわれたり、恥ずかしいとかいってたら後で後悔するはめになる。
 その教訓からか、私達の地方では少し大きな台風が来ると警戒情報も大げさなくらい早くなった。

 今回の大雨も避難警報が発令されたものの状況は冷静なものだった。でも、少し大きな台風が来ると我が家は早めに実家に避難します。それは自宅が水で浸かった状態の現場でじたばたする事も、我が身だけでも安全な場所で安否を気にするのもどちらも結果は同じ事、被災後に仕事が出来る状態と最低限の生活物資さえ確保していれば、家がどうなろうと離れた子供や親兄弟に心配をかけない様、夫婦二人が少しでも不安を軽減できるのなら早めに避難していたほうが精神的に楽な気がする。

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