大学卒業前に一人己の人生を省みる②大学二年生

数時間並んだルーブル美術館は、ついに開館しなかった。
どうやら、急遽休館が決まったようだった。後から、職員の対コロナストライキで休みになったことを知った。そこで初めてコロナの脅威、コロナの影響力を感じた。大学一年生の二月。もうまもなく二年生になろうとしていた。


大学卒業前に、今の自分が一体どこら辺からこうなったのか(こうなってしまったのか)振り返るべく箇条書きで書いていく。大学生活で最も困難を極めた(と思う)大学二年生を、一年生の春休みからざっくり振り返ってみる。


一年生の春休み

イタリア・フランス旅行

 一年生の秋頃、高校時代の友人がイタリア・フランス7泊9日(記憶が曖昧)のイタリア・フランスツアーを見つけてきた。飛行機、宿込みで10万円ちょい。流石にやばいツアーなのではないかと疑ったが、こんな機会二度とない。バイトを増やし、親に少し借金をして費用を工面。年明け後、二月の末に出発した。こんな激安価格でもちゃんとエールフランスに乗れた。なんであんな価格で旅行できたか、いまだに謎である。
 イタリアではコロッセオやら真実の口やら、有名スポットを2日かけてくまなく回った。中でも、歩いてむかったバチカン市国、ミケランジェロの「最後の審判」は圧巻だった。これをきっかけに、帰国後今まであまり興味のなかった美術館にちょこちょこ足を運ぶようになった(コロナでなかなか行けない日々が続いたが)。
 初めてのヨーロッパということもあり、相当浮かれていた。ホテル周辺の治安は良くないと聞いていたが、特にそれを感じるようなことはなかった。それよりシャワーがすぐに水に切り替わることが不満だった。イタリアのターミナル駅(テルミニ駅と言った)に入っていた書店に『約束のネバーランド』のポスターがデカデカはられていて、「日本の漫画ってここでも読まれてんだなぁ」と感じた記憶がある。あとイタリアのビッグマックはそんなに美味しくなかった気がする。街のレストランのピザは無茶苦茶美味かった。街中に大量の吸い殻が捨てられていて、「そこらへんルーズなんだ……」というある種のショックを勝手に受けた。


真実の口

 そこからフランスに行って、4日くらい過ごした。大学では週4でフランス語の授業があり、授業の中で有名な観光スポットやらは多く扱っていたので、それらが見られてとても楽しかった。凱旋門の上から見たパリの旧市街、新市街の夜景が美しかった。エッフェル塔は上の方があまりにも寒くて、途中から記憶が飛んでいる。ベルサイユ宮殿に行った時は数万歩歩いた。今考えても頭がおかしいレベルで歩いた。足はパンパンになった。……やっぱりあの歩行距離は頭おかしい。思い出すだけでちょっと疲れる。 
 そうだ、パリのメトロで財布をスられそうになった。目の前でオバハンが堂々と私のリュックに手を伸ばして財布を手に取ろうとしていた。友達が教えてくれなかったら、数万円とクレジットカードがセーヌ川に消えるところだった。旅行中唯一、本気で焦った。 
 そして、そんな中冒頭の通りルーブル美術館に入れなかった。開館前から並んで、開館時間を回っても全く列が動かず、結局その日は休館となった。かなり楽しみにしていたので、本当にがっかりした。不機嫌になってしまって周りに迷惑をかけてしまったと思う。本当にごめんなさい。 

凱旋門の上から見たシャンゼリゼ通り

大学二年生

春学期

 まぁ、そんなこんなでコロナ禍に突入した。ここらへんは割愛。
 大学の授業開始は一、二ヶ月ずれこみ、バイト先も臨時閉店してやることがなくなったのでとにかく一人で散歩をした。近所(2駅隣くらい)からすこし遠く(佐倉市臼井)まで。ここら辺から、「一人で出かける」ことに抵抗がなくなっていった。イヤホン耳に突っ込んでいたら大抵なんとかなる。さらに、講義やバイトがなくなったので生活リズムが破綻した。文字通りの昼夜逆転生活を送るようになった。これは今も直っていない。直せるんだろうか?
 しばらくして、オンラインでの学生生活が始まった。誰にとってもほぼ初めてのオンライン授業。どこかワクワクしていた自分がいたと思う。珍しいもの見たさのような感じで授業を受け、単位は落とさなかった。「自分、インドア派なんかな〜」とか考えていた。結局間違いだったが。
 そういえばこの時、「リモート飲み会」が流行った。ミーハーなので友人と数回やった。飲み会で話すネタ探しより、背景画像集めに勤しんだ。ただ、集めた画像の多くは使わずに終わった。数回やって、自分が、というより世間がリモート飲み会に飽きた。なにより画面を消した後のあの異常なまでの虚しさ。まぁ、廃れて当然といえば当然かもしれなかった。しばらくしてアルバイトも再開したが、今思えばこの辺りから体調は少しずつおかしくなっていった。

夏休み〜秋学期

 夏に免許をとった。車が運転できるようになり、友人と車で数回出かけた。車の運転は楽しかった。手軽に近場に行けるようになったのも良かった。
 秋学期に入ろうかというところで体調を崩した。目覚めて明らかに熱がある感覚。熱を測ると35.8℃で仰天。濃厚接触もなく、検査も陰性、原因不明の体調の悪さだった。そのうち変な脂汗も出てきた。なんだこれ。今も原因はわかっていない。
 そして秋学期。授業に全く身が入らない。結果から言うと16単位中12単位を落とした。そのせいで、大学四年のいまでも普通に単位を取らなければならなくなっている。まぁ、ただあの時はおそらくどんな授業選択をしてもこれだけの単位は落としたと思う。自分でも不思議なほど、受講しようとするとと思考が停止した。そんな中、重松清の授業と、デザイナーによる本の装丁についての講義だけ、好きな時間に受講できたので単位が取れた。

 
 自分は文化構想学部という学部に通っているが、その授業の少なさから「あそ文構」とよく揶揄される。まぁ、確かにそう言われてもしょうがないくらい授業は少ない。その分「自由」な時間が多いらしい。自分はずっと、この「自由」を「無責任・無秩序」みたいなものと混同していたと思う。「好きな時に、好きなことを、好きなだけできる」というのも確かに自由の一つなんだろうが、自分に関する全責任を自分の判断が、自分の行動が、自分の選択が負うことになる、というのが「自由」ということなのかもしれない。だから、自分が好きにできる時間の使い方に、将来の自分は左右される。今こうして、何もせずにただいることも、回り回って自分の将来に……とはいえ何をやる気も起きんが……
 一切やるべきことが手につかなくなって、自分が何をすればいいかわからなくなったタイミングで、そんなことを考えるようになった。結果、メンタルは終わった。なんとかアルバイトには行けたが、休みの日は基本部屋に篭るようになった。(ま、本当に終わってたら部屋から出られなくなるだろうから、気分の問題だったのだろうとは思う。恥ずかしい話だが。)ずっと寝てた。それか、文字通り部屋の隅で体育座りをしていた(本当に)。たまに音楽を聴いていた。

 そんな中、スピッツが11月にライブをやった。『猫ちぐらの夕べ』というタイトルだった。あのタイミングで、世間的には自粛ムード一色だったと思う。ダメ元で応募したら当選した。本当にラッキーだった。
 終わってるメンタルに、草野さんの声は本当に聖水みたいな、とんでもない心地よさで染み込んだ。この時、よく聞いていたのが『恋のはじまり』という曲。そして本当にたまたま、ライブの一曲目で十数年ぶりに演奏された。2020年、最初で最後の号泣をした。陳腐な言い方だが、一生忘れないライブだと思う。

ゼミ選考

 そしてこれと前後して、来年から入るゼミを決めなくてはならなかった。タイミングとしてはあまり良くないが、なんとかしなければどうにもならん。悩み始めた。
 そういえば。一年の秋学期に模擬ゼミみたいな授業をとっていて、その担当教官が堀江敏幸先生だった。一年生の時は「小説家らしい」ということしか知らなかったので、これを機にAmazonで一冊注文して読んでみることにした。『その姿の消し方』という本だった。(芥川賞の選考委員とかもつとめている凄い人だということは後から知った)

 読んで、その文章から人肌くらいの温度が感じられることに驚いた。心の底の方から、ゆっくりじんわりあったかくなるような。これは、是非読んで味わってほしい。この本を読んで堀江ゼミに入ることを決め、急いで6000字の選考作品を書き、面接を受けて、幸いなことに希望が通った。「入学して良かった」と強く感じたのは、サークルで友人を見つけられた時と、このゼミに入れた時だったと思う。このことと先述のライブのおかげで、少しずつ体調は持ち直し始めた。堀江先生の他の作品も読んだ。『いつか王子駅で』おすすめです。(宣伝ではないです。本当に。)

 体調が回復していって、年末、そして2021年になった。今思えばなんであんなに悩んでたんだろ? という感じだが、まぁそれはあの時の自分にしかわからない。この辺りから背伸びして哲学の本を買い始めたが、難解なのですぐ読むのをやめて積ん読するようになった。慣れないことはするもんじゃない。一体いくら費やしたんだろうか。
 この辺りから、小説やら音楽やらで飽き足らずいろんなエンタメが見たくなって、漫画とアニメに少しずつ手を出し始めた。そして、2月にあるアニメ映画を見てそれにどハマりしたあたりから徐々に今の自分に近づいていくが、それはまた次に書けたら書きたいと思う。完全なる自己満足の文章ですが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。



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